8月5日(水)

 本日で禁煙20日目である。最長記録だ。記念に煙草を一服。余りの不味さに直ぐに消す。

『セッション9』という映画を観る。 脚本・監督はブラッド・アンダーソン。アメリカで最も有名な廃墟、ダンバース州立精神病院(在マサチューセッツ州セイラム)でロケをしていたので観たのだが、出来はまあまあだ。
 内容は、結論から云えばサイコキラーものである。ダンバース州立精神病院のアスベスト処理をわずか1週間で請け負った業者(倒産寸前)の5人が1人減り2人減り、遂には全滅する様を描く。結局、どいつのオツムが場所柄の因果ゆえにイカれて大殺戮を繰り広げたのかの答えが最後に用意されている。発想はなかなか面白い。しかし、前半の45分は退屈でならない。もう少し早めに最初の山を作って欲しかった。30分辺りで事件が起こり、おっ、と思わせれば本作は傑作に化けた可能性がある。その意味で実に惜しい作品である。


8月14日(金)

 禁煙29日目である。我ながら大したものだ。電子書籍『殺人博物館/女でも殺す』も発売に至り、おめでたき限りである。

 ところで、先日サミーと再会した折りに、奇しくも二人が同じ本を持っていることが発覚した。『TRAGEDIES A LA UNE』という往年の瓦版を特集した図鑑である。



 こんなのやら、



 こんなのやら、



 こんなのやらが満載で、実に楽しい。
 私は十数年前に六本木の書店で、資料として買い求めたのだが(但し、記述はフランス語なのでチンプンカンプン)、サミーは赴任先たるフランスで買い求めたという。そして『殺人博物館』でその図版が使われてることに気づき、
「お前、あの本、持ってない?」
 と訊ねて来たというわけだが、俺が持っていることはその趣味からして当り前。しかし、どうして女にしか興味がないサミーが持っているのだ? そのことの方がよっぽど不思議だ。何故に買い求めたのかを問いただせども、
「何で買ったのか判らねえ」
「どうして家にあるのかも判らねえ」
 って、お前は馬鹿か?
 あっ、そうか。こいつは馬鹿だったのだ。だから、持っていても不思議ではないのだ。なにしろ馬鹿なのだから。

 本日下調べをしていたガブリエル・ボンパールとミシェル・エローの図版もこの本には載っていた。極めてユニークな殺し方の事件なので期待して頂きたい。


8月18日(火)

 禁煙33日目にして、ようやく新作の執筆に成功する。それほどに禁煙の離脱症状(頭痛、肩こり、手の痺れ等)は凄まじいのであるぞ。
「ガブリエル・ボンパール&ミシェル・エロー」は書き始めから仕上げまで3日もかかってしまった。何故か? それは、これまで執筆中にアイディアに詰まると一服して麻薬を注入していたからである。それがなくなってしまったので、アイディアが浮かばず、集中出来ずに中断。遊びに行ってしまったのだ。本日になってようやく集中出来るようになり、これ幸いと一気に書き上げたわけだが、それでも3時間もかかってしまった。ギリギリ『人志松本の○○な話』に間に合った次第である。しかし、手の痺れは未だ治らず。ヘビースモーカーであったが故の天誅と認識する。


10月6日(火)

 9月29日に友人から、
「お前さんの文章が唐沢俊一にパクられたそうだよ」
 との連絡があり、早速その旨を告発したブログを閲覧したところ、パクったというよりも「元にして書いた」ということらしい。構成がほぼ同じなのだそうだ。同じ誤りをしていることからも(ケネディ大統領の国葬を11月23日としている)元にしたことはほぼ間違いないようだ。
 それにしても、と思う。唐沢俊一という人はもうちょっとマシな人だと思っていたのだが…。なにしろケネディ大統領のことを「ロバート・ケネディ大統領」と書いているらしいのだ。俺は「ロバート」なんて書いてないよ。ちゃんと「ジョン・F」って書いてるよ。「ロバート・ケネディ大統領」などという誤りは職業作家としては致命的だ。編集は何をしていたのだろうか?
 これではパクリ元の俺まで頭が悪いように思われて敵わん。だからこそ、こうして訂正を加えなければならんのだぞ、ボケ。

(註:コリン・ウィルソン他、いくつかの参考文献では、ジョアン・グラフは11月23日に殺害されたとある。しかし、米ウィキペディアによれば11月25日であり、また、本件の映画化であるリチャード・フライシャー監督『絞殺魔』にも、ケネディ大統領の国葬をテレビで見た直後の犯人が犯行に及ぶ描写がある。故に本稿では11月25日説に従うことにする。その方が劇的で面白いからである)


10月14日(水)

 本日より次回の電子書籍『殺人博物館〜きちんと後始末』の編集及び執筆を始める。今回は屍体処理法の特集で、埋葬や遺棄、解体にまつわるアンビリーバブルなエピソードが満載だ。処理法にまつわるウンチクの他、バラバラ事件の書き下ろしもいくつか予定している。乞うご期待。


11月7日(土)

 昨日はマジソンズのオフ会に初めて参加。俺は照れ屋さんなので、今まで参加していなかったのだ。照れ屋さんのクセに、酔った勢いでチンポコ露出したり、女性にキッスを迫ったりしていたようだが。古株のサンドラさん、殺戮のオデッセイさん、ダゴンさん、ろったさん、海老づくしさんと初めてお会い出来て光栄でした。アイコさん、いけともさんという別嬪さんともお会いして、俺がキッスを迫ったのは、はてどちらだったか。ろったさんとはキッスしたけどね、満座の前で。猫八さんは唐沢関連で最近、知り合いになった御仁。
「あなたいい方ですね。今度一緒に飲みましょう」
 などと唐沢検証ブログで呼びかけたところ、早くもこうして一緒に飲めることになりました。唐沢(敬称略)も来ればよかったのに。一緒にホッピーだかマッコリだか知らんが飲もうぜ。
「いけともさん、チャットででは。ちゃんのセクハラに遭って大変だったよなあ」
 という話で盛り上がり、改めてでは。ちゃんとネルさんがこの場にいないことになんだかしんみり。逝ってしまったわけではないけど、やはりお会いしたいですなあ(これ見てたら連絡頂戴)。
 それから蟹餅さんの話でも盛り上がりましたよ。
「今年のパン祭りも、俺たちが乗っ取らせてもらうぜ!」
 こんなイカしたセリフを残した蟹餅さんは我々のアイドルであります。

 解散後、気がついたら俺はお茶の水から移動し、早稲田鶴巻町を一人で歩いていた。どうして歩いていたのかは判らない。何分にも酔っぱらいのすることだからね。上野方面に向かおうとして、方向間違えちゃったのだろう。方向転換して飯田橋へと向かい、後楽園で始発に乗り、無事に帰宅。ああ眠い。今日は使い物にならねえよ。


11月8日(日)

 最近「唐沢俊一ショック」で文章が書けなくなってしまっている。文章を書くことの「責任」というものを唐沢(敬称略)を通じて痛感したからだ。だけど、当の唐沢(敬称略)はへっちゃらで、エロ本(DVD付き)の連載で2ケ月連続で俺の文章をパクったという(初めは『殺人博物館』の『ボストン絞殺魔』、お次は『最低映画館』の『リタ・グレイ』)。まあ『リタ・グレイ』もケネス・アンガー著『ハリウッド・バビロン』のパクリのようなものだけど、俺はちゃんと引用元を記載し、コリン・ウィルソンの『世界醜聞劇場』と対比させている。それが俺の書き手としての、せめてもの「良心」だったのだが、唐沢(敬称略)にはこの「良心」というものが欠落しているのだろう。加藤和彦氏が死亡した際の日記でのコメントも酷かった。

「晩年は木村カエラを売りだすためにミカバンドを再結成するなど、かなり頑張っていたようだ。あ、惚れたな、と聞いていてもわかった……。それが自殺に結びついた原因でなければいいが、と思ってしまう」

 故人に失礼な憶測をどうしてかくもあっけらかんと公表してしまえるのか? 甚だ不思議でならない。この人には文章を書くことの「責任」なり「良心」なりが欠落しているのだろう。自称「鬼畜」だそうだが、バ〜カ。鬼畜ってのはマジソンズのことをいうのだよ。
 大声で「初めてえ舐めたおまんげえわあ」って歌ってみ? それが出来て、客席から物投げられて、初めて「鬼畜」って名乗れるんだぜ。安全圏にいちゃダメだよ。『トリビア』ってな番組の裏ばなし(おそらくガセ)で金取ってるようじゃ「鬼畜」は名乗れないぜ。
 ああ、だんだん腹立って来た。俺も唐沢検証に仲間入りしようかな。


11月9日(月)

 唐沢俊一も昔はもうちょっとマシだったのだ。へりくだることを知っていたのである。例えば『トンデモ怪書録』(1996年8月30日初版。93年5月から96年7月までの『小説CLUB』での連載『脳天気本博覧狂気会』をまとめたもの)P17。

「…告白する。僕には悪癖がある。このあいだまたやってしまった。もうするまい。これが最後だ、と思いながら、それを目の前にすると、ついフラフラと手が伸びてしまう。あとでひどい目にあうということはわかっているのだが、イザとなると理性がマヒしてしまうのをどうすることもできない。
 と、言っても別に僕に盗癖があるとか、覚醒剤をやっているとかいうハナシではない。古書店で欲しい本を見つけたとき、サイフの中身を顧みず衝動買いしてしまうことだ。それも一万とか二万の値段ならまあいいが、先日はひどかった。ウン十万円である。ただでさえ女房に、自分の稼ぎを考えて買い物しなさい、などとやかましく言われているのにこのザマである。結局、弟に持ちかけ、折半ということにしたが、それにしてもイタイ。光文社がこの本の制作費で落してくれるということは…ないだろうな、やっぱり」

 己れがしがない物書きで、収入と不釣り合いな買い物をしてしまうことを嘆き、自虐的にネタにしていたのだ。ところが、今では常に上から目線で、人を小馬鹿にすることしか出来ないでいる。おそらく「と学会」という上から目線で人を小馬鹿にする団体に所属していたために、そんな芸風になってしまったのだろう。

「と学会」自体を否定する気は毛頭ない。ああいう団体はノストラダムスの大予言以前は必要だった。だが、あれから10年も経ってしまった今、果たして必要なのか? 旬はとっくに過ぎている筈なのだが、まだ本を出し続けているという。しかも、かつて以上のペースで。そして、盗作を続ける唐沢俊一(敬称略)を処分出来ないでいる。ちゃんとしろよ「と学会」。お前らにも責任あるのだぞ。

 ところで、上に引用した唐沢(敬称略)の文章は、今になって改めて読むと味わい深い。
「と、言っても別に僕に盗癖があるとか(略)いうハナシではない」
 今じゃ立派にあるもんな。『新・UFO入門』の件は誰が見ても盗作だ。弁解の余地がない。だから、あの時に素直に謝罪して、和解していればよかったんだ。ところがだ、この輩は被害者をクレーマー呼ばわりして、その後も平気の平左で盗み続けたんだな。そんなことしてたら天誅が下るよ。いずれこの人は四面楚歌になるだろう。


 さて、本日の私は電子書籍用の書き下ろし『ジョン・デヴィッド』を執筆。恋人を豚に食べさせたというトンデモない事件だ。参考文献が1冊しかないので、海外のサイトを検索したら『ウィークリー・ワールド・ニュース』の記事に出くわした。ガセが多いことで有名なアメリカのタブロイド紙だ。何だよ、唐沢(敬称略)のお次はまたもやガセかよと呆れていたら、記事の内容は意外とマトモだった。しかし、私が所持している文献と内容がほぼ同じなので、どうせ本国たる英国の新聞記事をパクったのだろう、って今度はパクリかい!


11月10日(火)

 唐沢俊一(敬称略)関連のネタはいくらでもあるし、既に昨日と同じぐらいのボリュームの検証文を書いていたのだが、他人の揚げ足取りをすることのバカバカしさに気づいたので掲載をやめる。俺は俺が書きたいことを書き続ければよい。他人は関係ない。俺のことだけ考えていればよいのである。

 本日は電子書籍用の書き下ろし『千住バラバラ事件』を一気に書き上げる。あまり有名な事件ではないが、バラバラ事件の典型のような事件なので、気分良く書けた。殺人に「気分良く」とはあんまりだが。


11月11日(水)

 本日は電子書籍用の書き下ろし『人違いバラバラ事件』を執筆。随分とヘンテコな事件なので整理にテマがかかる。オチもあまり良い出来ではない。明日書き直そう。


11月12日(木)

『人違いバラバラ事件』に若干の修正を加えた後、やはり電子書籍用の書き下ろし『おでん屋バラバラ事件』を執筆。思いのほか長編になってしまい、後半は明日に繰り越す。
 しかし、それにしても『ブラタモリ』は毎回面白いなあ。


11月13日(金)

 体調が優れず。しかし、締め切りが間近なので『おでん屋バラバラ事件』を書き切る! スゲエぜ、俺。

「両手を腹に突ツ込んだときはちよつと気持ちが悪かつた。臓腑はまだ暖かかつた」

 人間をバラバラに解体する様を、当時の新聞報道を交えて、克明に報告しております。これを読んだら、人をバラバラにしようなどとは思いますまい。それほどに過酷で残虐な作業なのだ。


11月14日(土)

 相変わらず体調が優れず。しかし、ヒイヒイハアハアと喘ぎながら電子書籍用の『鈴弁殺し』を一気に書き上げる。これは近いうちに『殺人博物館』に掲載する予定。長編なので、前後編に分けるやも知れぬ。乞うご期待。


11月15日(土)

 本日よりミクシィとやらを始めるが、なんだかよお判らぬ。とりあえずマジソンズんことと唐沢なんとかのところに挨拶しときましたよ、ええ。俺は唐沢関係についてはかなりの爆弾を持っている筈なので、それはおいおい明かしましょう。

 で、ミクシィに書いた日記からの引用。

『天地人』、中盤からひたすらに涙、涙、涙。こんなお涙頂戴ドラマにかくも泣いてどうする、と己れを叱責すれども、泣けるのだから仕方がない。ここ数年、俺の涙腺はバカになってしまっている。

 本日は電子書籍用『玉ノ井バラバラ事件』の改訂を行う予定だったが、体調が優れずに仕事にならず。『鈴弁殺し』の手直しと表紙デザインを作成するに留まる。


11月16日(月)

 電子書籍用『玉ノ井バラバラ事件』に若干の手を加える。
 この事件は私の実家のすぐそば(墨田区寺島町)で起こった事件で、私が殺人事件に興味を持った原体験である。祖母からこの事件を寝物語で聞かされたのだ。

「あそこの乾物屋の前に生首の手配写真があったのよ」

 それがどのように醜悪なものであったのかを想像する幼稚園児。それが今日の私の原型なのだ。


11月18日(水)

 電子書籍『殺人博物館〜きちんと後始末』をようやく完成。苦労したのはやはり書き下ろしの、日本の事件の部分である。気をつかうんだよなあ、日本の事件は。遺族のことを考えると、ヘタに笑いにできないよ。

 今回は「死体処理法」の特集ということで、「埋葬」「遺棄」「トランク詰め」「バラバラ」「生きたまま切断」「硫酸漬け」「焼却」「家畜の餌」、そして遂に「食べる」にまで至った。私の結論としては「食べる」が最も証拠を残さない死体処理法かな。最後におまけとして「死刑」を論じてみた。結局、人は殺してはダメなんだよ、当り前だが。だって、後始末が面倒だもん。


11月23日(月)

 『LADY KILLERS』を参考にして『殺人博物館』用に『メアリー&アール・スミス』を執筆。しまったあ。これ、次の電子書籍『きちんと後始末』で取り上げるべき事件であった。
 親子で遺体を硫酸漬けにする事件である。こんな事件、まだまだあるのだなあ。世の中は広いなあ。


 ところで、「唐沢俊一検証blog」によれば、唐沢俊一がなんと『婦人公論』12月号に『<オタク評論家が緊急警告>パンドラの箱をあけた詐欺女ー中年オタク受難の時代がやってくる」なる駄文を執筆しているらしい。
 その内容はあまりに酷くておはなしにならないが、なかでも呆気にとられたのがこの部分だ。

「殺人という、人間の心の中にある最大のタブーを、単にぜいたくがしたい、おいしいものを食べたり、高級な外車に乗りたい、という単純な、人間であれば誰しも持っている日常の欲望のために、軽々と犯してしまうタイプの殺人者がとうとうあらわれた、ということなのである」

 いやいや、昔からいたから、そういう殺人者は。「保険金殺人」がその典型例だ。「とうとうあらわれた」などと胸を張って書く事ではない。

 この事件が特筆に値するのは、我が国で初めてのロンリー・ハート・キラー(例えばベル・ガネスのような)が「とうとうあらわれた」ということなのであって、その辺りを唐沢は判っていないのだ。

 チャップリンの『殺人狂時代』あたりをマクラに添えて、
「これって実在の事件をモチーフにしたのですよ」
 などとランドリューの例をあげ、
「なんと、女性にもこんな輩がいたのです」
 とベル・ガネスを紹介して、
「その日本版がこの方やも知れないのです。だとすれば大事件ですわい」
 こういう流れにしないと「とうとうあらわれた」とは云えんとですよ。


11月24日(火)

『LADY KILLERS』を参考にして『殺人博物館』用に『カール・ハルトン&ベティ・ジョーンズ』を執筆。ギャングに憧れるボンクラと、同じくギャングに恋い焦がれる田舎娘による、余りにも短絡的な殺人事件。小ネタだが、ネットで調べてみたら1990年に映画化されていた。『ハマースミスの6日間』がそれ。主演は今ではジャック・バウアー役でお馴染みのキーファー・サザーランドである。


11月25日(水)

『LADY KILLERS』を参考にして『殺人博物館』用に『ジェシー・コステロ』を執筆。実はこの事件は以前にボツにしたネタだったのだが、読み直したら面白かったので採用した。
 なんでボツにしたのだろう? 十分に面白いのに。
 いや、こういうことって結構あるんだよね。その日のコンディションによって面白いと思ったり、つまんねえと思ったりすることが。
 これからの『殺人博物館』にはこうした「敗者復活」が目立つと思う。実は大ネタが結構残ってしまっていて、書くのが面倒だからである。


11月26日(木)

『殺人博物館』用に『シャルル・ソブラジ』を執筆。トンデモねえ連続殺人者なんだけど、犯行場所が多岐に渡るので(ベトナム→フランス→インド→アフガニスタン→イラン→トルコ→ギリシャ→タイ)落ち着きのある文章がどうしても書けなくて苦労する。コリン・ウィルソンも彼奴の足跡を辿るので精一杯だ。俺の手には負えねえよ。

 ところで、ミクシィのマジソンズ・コミュで本日より「最低映画の写真で一言」が復活した。出題は猫遊軒猫八氏、総評は私である。


11月27日(金)

『殺人博物館』用の「ゴア&ウォーターフィールド」を執筆。事件発覚の発端があまりにもキテレツな「出オチ」のような事件である。

 ところで、唐沢俊一関連の「登場人物」を調べるために「唐沢俊一ワールド案内」を閲覧したら、いつの間にか俺まで「登場人物」になっていた。
 http://www27.atwiki.jp/karasawa/pages/12.html#id_4dab0eb4

 【岸田裁月】
 マジソンズのメンバー。
 唐沢俊一に2ヶ月連続でコラムをパクられてしまった被害者。

 いやはや、恥ずかしいやら、情けないやら。


11月28日(土)

 本日は筆が進み、『殺人博物館』用の原稿を3つも仕上げた。小ネタ2つに中ネタ1つ。
 一つ目は、自分も浮浪者のくせに浮浪者を憎悪していた「キアーナン・ケリー」。
 二つ目は「ドアベル・キラー」こと「ヴァルデマー・シチェピンスキー」。
 三つ目は「コールマン&ブラウン」。
 いずれも連続殺人犯である。

 ところで、数日前から唐沢俊一の元担当編集者が自身のブログで反旗を翻して、唐沢を検証する人々の間で話題になっている。中でも特に興味深かったのは「唐沢俊一に原稿を発注する理由」だ。 予想通りのことが書かれていた。

 1 仕事を断らない、スケジュール的にキツくても受けてくれる。
 2 ジャンルが限定されない。どんなお題でも書いてくれる。
 3 ギャラのことで文句を云わない。
 4 話が早い。電話での打ち合わせだけで済んでしまう。

 要するに、編集者にとって便利なライターだったのだ。だから名誉毀損で訴えられても、盗作問題を起しても、いまだに仕事の依頼があるというわけだ。


11月29日(日)

『殺人博物館』用に中小2本執筆。

 一つ目は『ティエリー・ポーリン』。「モンマルトルの怪物」の異名で知られる連続殺人犯である。パリのおばあちゃんばかり20人も殺害した。但し、性犯罪者じゃないよ、念のため。

 二つ目は『リーザ・ジェーン・ターナー』。現代のジャンヌ・ヴェベールのような事件である。

 そして、今夜もNHKのドラマ『坂の上の雲』第1回に泣く。俺の涙腺は最近、本当にバカになっておる。


11月30日(月)

『殺人博物館』用に小ネタ3本執筆。

『ゲンナジー・ミカセヴィッチ』はロシアがまだソビエトだった頃の連続殺人犯。ソビエト連邦という国のマヌケさが存分に発揮された事件である。

「ストックウェル・ストラングラー」こと『ケネス・アースキン』もまたマヌケさで溢れた事件である。故についつい筆が滑り、かなり不謹慎な内容になってしまった。反省。文中で、
「岸田くん。些か不謹慎ではないかねキミィ」
 とツッコミを入れる。

『マイケル・ルーポ』の事件はエイズが招いた悲劇である。ゲイを巡る社会問題にまで発展した。なかなか興味深い事件なのだが、如何せん、参考資料が少ない。米ウィキペディアにもロクな記述がない。故に小ネタにならざるを得ない。


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