マクマレー一族の計画もいよいよ正念場を迎える。リタ側は100万ドルという法外な慰謝料を請求。弁護士の下に逃げ込んだ時には、チャップリンはすっかり神経衰弱に陥っていた。彼の邸宅も、愛する撮影所も、彼の財産すべてが差し押さえられてしまったからである。
 ニューヨークで療養し、精神的に落ち着いたチャップリンは、ハリウッドへと舞い戻って愕然とする。二人の結婚生活を暴露する怪文書《リタの不満》が出回っていたのである。この42ページに及ぶ小冊子は三流スキャンダル誌の出版であったが、リタ側が流したことは明白であった。エドおじさんはマスコミを味方にする術をこの時代に早くも熟知していたのである。

「彼はフェラチオという人間性に反する劣悪且つ異常な倒錯行為を彼女に強要した。彼女がこれを拒絶すると。彼は『結婚したら誰でもやることなのだよ』と彼女を説得した」。

「フェラチオ」の意味を知るために多くの合衆国市民が生まれて始めてラテン語の辞書を手にした。この法律文書の形態をした猥褻文書の解読のためにラテン語辞書の売り上げが伸びたというから驚きだ。
《リタの不満》には他にも、最初の性交後は二人に正常な夫婦の営みは一度もなかったことが延々と、具体例を挙げて記述されている。この猥褻文書の作者はエドおじさんだが、情報源はナナだ。この姑は夫婦生活の逐一を娘から聞き出し、毎日のようにノートに書き綴っていたのである。



 これにはチャップリンもお手上げだった。やがてリタは慰謝料請求の訴訟を提訴。法廷ではリタ側が完全に主導権を握る。ちなみに、エドおじさんの申し立ては以下の5項目。

①原告は被告に誘惑された。
②懐妊が確認された時、被告は原告に堕胎を要求した。
③被告は原告との結婚を強制されて初めてこれに同意した。
離婚を早めるために、被告は原告に対して残虐且つ非人道的行為を計画的に加えた。
⑤この申し立ての真偽は、被告の日常会話における不道徳性及び最も神聖な事柄に対する彼の蔑視的言動によって立証される。

 いやはや、エドおじさんは恐喝のプロフェッショナルだ。最後の⑤がミソ。つまり、大衆の面前でお前の常日頃の不道徳な言動を暴くぞおと脅迫しているのである。
 それでもチャップリンは屈しなかった。エドおじさんの不愉快極まりない陳述にも耐えた。エドおじさん曰く、

「被告は原告の道徳的行動を阻害し、社会的品位を貶めるための執拗な努力を続け、《チャタレイ夫人の恋人》のような不道徳な本を原告に読んで聞かせた」。

「被告は原告と別居する4ケ月前に、変態的行為をすることで有名な或る若い女性に家に泊まることを薦め、三人で一緒に楽しもうと原告を誘った」。

 これは事実だったのかも知れない。あまりにも具体的に過ぎるからだ。しかし、私の意見としては、不道徳だったのはむしろ、夫婦の秘め事を金のために公けにしたリタである。当初はチャップリンに批判的だった世論も、彼に同情し始める。形成逆転を図り、彼が発表した声明が効を奏したようだ。

「私がリタと結婚したのは、彼女を愛していたからです。そして世の中の馬鹿な男たちと同様、つれなくされるとますます好きになりました。今でも愛していると思います。だから、彼女から『愛してはいないが結婚しなければならない』と告げられた時にはショックで自殺さえ考えました」。



 

 風向きがチャップリンに有利になって来たことを察したリタ側は、とっておきの切り札で勝負を賭けてくる。結婚後のチャップリンと親密な関係にあった5人の有名女優を法廷で暴露すると脅してきたのである(この内、3人はエドナ・パービアンスと、新聞王ハーストの愛人マリオン・デイビス、そして《黄金狂時代》のヒロイン、ジョージア・ヘールだと思われる)。これにはチャップリンも白旗を上げた。かくしてマクマレー一族は62万5千ドルの示談金喝取に成功する。

 裁判を終えたチャップリンは38歳だったが、心労のためにすっかり白髪になっていた。中断していた《サーカス》の撮影を再開するためには髪を染めなければならないほどだった。よほどこたえたのだろう。彼の自伝には、リタについては一言も触れられていない。(了)


【参考資料】
*《ハリウッド・バビロン》ケネス・アンガー著(リブロポート)
*《世界醜聞劇場》コリン・ウィルソン著(青土社)
*《地獄のハリウッド》(洋泉社)
*《チャップリン自伝》(新潮社)
*アサヒグラフ《ハリウッド1920ー1985》(朝日新聞社)