バラのつぼみ
『市民ケーン』と新聞王ハースト



『市民ケーン』

 映画『市民ケーン』は、新聞王ケーンが「バラのつぼみ」という謎の言葉を残して臨終するシーンで始まる。
 それは一種の推理劇である。探偵役たるジャーナリストがこの言葉の謎を解明すべく、ケーンと共に生きた人々の回想を綴るうちに、まるでジグゾーパズルのように彼の生涯が浮き彫りになる。こうして完成されたパズル絵は、偉大な新聞王と呼ぶには程遠い孤独な独裁者としての姿だった。

『市民ケーン』はオーソン・ウェルズの天性の才能が開花した歴史的傑作である。しかし、この若干25歳の問題児は映画史上不朽の栄誉と共に、モデルとなった実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの逆鱗も買うことになる。妨害工作のために興行的には散々で、アカデミー賞授賞式でもブーイングの嵐だったという。つまりウェルズはその後50年にも及ぶ映画人生のスタートでいきなりつまずいたわけだ。映画会社はやがてこのトラブルメーカーを敬遠し始め、遂にはハリウッドでは映画を作れなくなる。海外に資本を求めたがままならない。資金作りに奔走し、三流映画に出演し、サントリーのCMにも出演し、ついでに英語の教材の吹き込みもする。もっとも、彼はこうした生き方を楽しんでいたフシがある。それがせめてもの救いであろうか。

 天才オーソン・ウェルズは、監督第一作『市民ケーン』で栄光と挫折を同時に獲得した。何故なのだろうか?。彼は何故、新聞王ハーストを敵に回すという無謀なことを目論んだのであろうか?。この疑問が本章のすべてである。そして、本章はこの疑問にお答えする.しかし、その前に、合衆国最大の俗物、ウィリアム・ランドルフ・ハーストについて触れておかなければならない。




ウィリアム・ランドルフ・ハースト

1. 新聞王ハーストの陰謀

 父が安値で買った鉱山からたまたま銀が採掘されたために、一夜にして大富豪となったハーストは、とにかく権力欲に憑依かれた男だった。政治的野心も旺盛で、政治家に多額の献金をしてニューヨーク市長の座を狙ったこともあった。しかし、市民はこの傲慢な成金を嫌っていた。市長が民選である限り、彼がその椅子に座れる機会は万に一つもなかった。
 現実を知り、政界進出に見切りをつけたハーストは、しかし、権力欲だけは従来のままだった。否。支配欲と云うべきか。彼は世論を操作するために全米のメディアを買い漁った。絶頂期には日刊紙22、日曜紙15、雑誌7、ラジオ局5。「王国」と呼ぶに値するだけの影響力を誇っていた。

 ハーストは新聞王国を通じて、アメリカの道徳や政治、ひいては世界情勢までも操ろうとした。彼の新聞においては、インチキは当り前だった。

誤報でもよい。記事から如何なる結論が引き出せるかだけ考えろ」

 彼は配下の記者に説教した。

「何っ?。写真がないだと?。この馬鹿者が!。何度云ったら判るんだ!。似たのを載せればいいんだ、似たのを!



スペイン警察による取り調べ


ハースト系新聞に掲載されたメイン号爆破の想像図

 こうした編集方針の最も醜悪な例が「スペイン警察の取調べ」であろう。1897年、ハースト系の新聞は「アメリカ婦人を裸にするスペイン警察」の記事をスクープした。この煽情的な記事により反スペイン感情は高まり、遂には翌98年、アメリカ戦艦メイン号が撃沈されたのを切っ掛けにアメリカは開戦に踏み切った。しかし、この戦争はハーストの情報操作の賜物だった。ハーストの命を受けてキューバに赴いた画家フレデリック・レミントンは、「スペイン人の残虐行為を描いて送れ」との指令を真に受けて探し歩いたが何も見つからず、その旨を電報で知らせた。これに対するハーストの返答は、

「何でもいいから絵を用意せよ。当方は戦争を用意する

 嘘のようだが本当の話である。つまり「スペイン警察の取調べ」はまったくのデッチ上げだったのだ。そうと判るとスペインによるメイン号撃沈も、事実であったのか相当に疑わしいものである。

 この他にもハーストはメキシコも攻撃した。1913年12月22日、ハースト系の新聞には両手を挙げ腰まで水に浸かったメキシコの子供たちの写真が掲載された。キャプションに曰く、

「このいたいけな子供たちは写真が撮られた直後にメキシコ政府により射殺された」

 この写真は全米でセンセーションを巻き起こしたが、数週間後にこの写真を撮った旅行者が名乗り出た。写真は英領ホンデュラスで水遊びしている子供たちを撮影したものだった。ハーストはこの暴露を契機に糾弾されたが、彼を糾弾した記者たちは翌日にも後悔した。彼らは職を失い、記者生命を断たれてしまったのである。以後、このメディアの帝王に逆らうことはタブーとなった。彼のイエロー・ジャーナリズム(いんちき扇動ジャーナリズム)の全貌が明らかにされたのは、すべて彼の死後のことである。

(余談ながら、第1章で取り上げたロスコー・アーバックルの事件を大袈裟に書き立てて、彼を犯罪者として断罪したのもハースト系の新聞だった)



政界進出を企み、演説するハースト

 こんな外道なハーストだが、その私生活は意外と間抜けだった。
 彼の浪費癖はただごとではなかった。自前の飛行機で世界中を旅して、価値も判らぬ美術品を買い漁った。しかし、その大半を二度と見ようとはしなかった。おそらく、衝動買いだったのか、それとも買ったことさえ忘れてしまっていたのだろう。とにかく、ニューヨークの巨大な倉庫はそんな品々で山積みとなった。ハーストはこれに年6万ドルもかけて、20人もの専門家を雇って在庫の管理にあたらせていた。

 この大馬鹿成金のコレクションは、絵画、彫刻、家具、宝石、ミイラに至るまで様々だった。中には城まるごとなんてのもあった。スペインの古城を買い取ったのだが、その購買の過程はちょっとしたスペクタクルである。アメリカに持ち出すためには解体した上で船積みしなければならない。しかし、当時はトラックなどという便利な運送手段は存在しない。ゆえに3万6千もの石材を港まで運ぶためには35キロにも及ぶ線路を敷かなければならなかった。さらに、これを梱包するには1万7百もの木箱を要する。ハーストはためらうことなく、製材所をひとつ買い取った。

 とにかく、購買欲の過剰な男だった。お気に入りの物を見つけると、それを買わずにはおれなかった。街角でお気に入りのシャツを見つけたハーストは在庫をすべて買い占めた。
 或る時などは、深夜のショーウィンドウにお気に入りの品を見つけた。災難なのは店主である。彼は自宅をつきとめられた上に叩き起こされ、夜中の2時に店開きを強要された。

 こうした浪費が災いして、ハーストはやがて破産に追い込まれるわけだが、それはまだまだ先の話。その前に、彼は生涯で最も高価な買い物をする。その商品とは、女優マリオン・デイヴィスである。




『赤い水車』のマリオン・デイヴィス

2. ウィリーとマリオン

 ハーストとマリオン・デイヴィスとの出会いは1917年、ジークフリード・フォーリーズ(ニューヨークの人気レビュー)でのことだった。この陽気な金髪娘はここで踊り子をしていたのだ。桂三枝ではないが、一目会ったその日から、恋の花咲くこともある。二人はその日のうちにも結ばれた。ウィリー54歳はこの老いらくの恋に身も心も捧げたが、マリオン19歳はお金が欲しかっただけなのは云うまでもない。

 こうして思いもよらない大物のパトロンを得たマリオンは以後、トントン拍子の快進撃である。ハーストは映画会社「コスモポリタン・プロダクション」を設立し、彼女が主演の映画だけ、計46本も製作した。もちろん、そのすべてが超大作。『赤い水車』のセットでは、オランダの田舎町をそっくりそのまま再現し、凍った運河のシーンがあると聞けば、巨大な冷却装置を購入して本当に川を凍らせてしまった。加えてハースト系の新聞雑誌は彼女のことをこの上ない美辞麗句で褒めそやす。
 曰く「ハリウッドの奇蹟」。
 曰く「映画史上最大のスター」。
 しかし、観客は正直である。劇場は閑古鳥が鳴き、すべての映画が赤字だった。マリオンは、救いようのない大根だったのである。



史上最悪の成金御殿、サン・シメオン宮殿


サン・シメオン宮殿の大晩餐室

  そんな訳で、スターにはなれなかったマリオンではあったが、しかし、巨万の富は獲得した。ウィリーは彼女の映画作りと同様に、二人の愛の巣作りにも浪費を重ねた。伝説の「ザナドゥ」、サン・シメオン宮殿には驚くなかれ、3千万ドル以上の金員が費やされた。
 この人類が作り出した最も醜悪な成金御殿は、数十の大広間を保有し、しかもそのすべてが高価なムーア様式だった。壁にはかつてフランスの瀟酒な城を飾ったゴブラン織りが掛けられ、ラファエロやレンブラント、ルーベンスといったルネサンス絵画の本物が至るところに飾られていた。各界の著名人を招いて夜ごとの響宴を楽しんだ大晩餐室には、天井からハースト家の旗が垂れ、壁の鏡板に沿って甲胄が並び、部屋の中央では巨大な暖炉の火が燃えさかっていた。

 サン・シメオンは本格的な動物園を持ち、シマウマやキリン、カンガルー、バッファローなどが放し飼いされていた。自然をこよなく愛するハーストは、城内での殺生は一切認めなかった。ネズミの退治も許さなかった。かくして城はネズミで溢れた。同様に、ハーストは枯れた木々の伐採さえも許さなかった。そのため、使用人たちは木々が枯れると、これに緑のペンキを塗って誤魔化していた。

 ハリウッドの名士たちは、サン・シメオンが出来てからは毎週末に汽車に乗るのが習慣となった。路線は彼らを盛大なるパーティ会場へと導いた。ハーストが本線から支線をサン・シメオンへと引き込ませていたのである。
 パーティの常連にはMGM社長ルイス・B・メイヤー、活劇の貴公子ダグラス・フェアバンクス、その妻にして国民的大女優、メアリー・ピックフォード等がいた。勿論、ダグとメアリーの共通の親友、チャーリー・チャップリンもまたその一人だった。
 そして、チャーリーは当時、ハーストの愛妾マリオン・デイヴィスと姦通していた、となると話はただごとではない。チャーリーはその代償を払わなければならない。




スワンソンとデイヴィスに挟まれるチャップリン

3. チャーリーの浮気とその代償

 チャールズ・チャップリンの生涯は、このことには第6章でも触れたが、実に多くの女難で溢れている。リタ・グレイ裁判に次いで有名な女難は1943年の認知訴訟。ジョーン・バリーという気の触れた「自称女優」がチャーリーに犯されたと訴え出たのである。血液検査の結果、その子はチャ ーリーの子ではないことが判明した。にも拘わらず法廷は、チャーリーに養育費の支払いを命じた(この判決が不当なものであったことは今日では異論がない)。
 何故に彼はこれほどに女難に巻き込まれるのであろうか?。

 その答えは「お人好しだから」。リタの時のジョーンの時も、チャーリーは罠であることを疑いもせずに見事に騙されている。そもそも、ハリウッドというところは、こうした「お人好し」と「ペテン師」の巣窟のようだ。コリン・ウィルソンは『世界醜聞劇場』で、ハリウッドのこのような状況を以下のように記している。

「チャップリンの経歴はハリウッドの根源的な問題を端的に示している。有名人は常に異性を惹きつける。従って大抵の場合、セックス過剰となる。セックスを提供されると疑うことなくこれに応じる」

 しかし、時としてセックスの提供者の方が一枚上手だったりする。こうした場合、スターはスキャンダルに巻き込まれ、大金を奪われ、ヘタをすると地位も名誉も失うことになる。チャップリンがその典型である。しかも、この人の場合、どういう訳か懲りることがない。
(ちなみに、左の写真、JFKの父君ジョセフ・ケネディの妾=グロリア・スワンソンと、ハーストの妾=マリオン・デイビスという、世界に誇る二大妾に挟まれるチャップリン。彼の女難にまみれた生涯を象徴する写真である)



トーマス・インス

 マリオン・デイビスもそんな「一枚上手な提供者」の一人だった。彼女はまだ20歳になったばかり。種族繁栄本能も旺盛で、老人相手にその欲望が満たされる筈はない。ハーストの眼を掠めて幾人もの愛人たちと一時の逢瀬を楽しんでいた。そこに巨根で有名なチャーリーが登場する。お人好しのチャーリーはまたしても後先のことを考えずに「据え膳」を召し上がることとあいなる。

 事件が起きたのは1924年11月のこと。場所はハースト所有の豪華客船オネイダ号の船上であった。「西部劇の父」として知られる名匠トーマス・インス監督がここで射殺されたのである。もっとも、ハースト系の新聞は、インスは自宅で心臓発作のために死亡したと報道した。しかし、お馴染みケネス・アンガー著『ハリウッド・バビロン』によれば、真相はこのようなものだったと云う。

「夜も更けて、船上でのパーティもたけなわとなった頃、チャーリーとマリオンが甲板の暗がりに抜け出した。これを目撃したハーストはリボルバーを持ち出すと、殺すの殺さないの大騒ぎを起こした。そして銃弾は発射され、これが止めに入ったインスのこめかみにめり込んだ」

 つまり、インスはチャーリーの身代わりとなって死んだのである。

 もちろん、これが真実である証拠は何処にもない。この他にも、マリオンと暗がりに抜け出したのは他ならぬインス本人だったとする説や、インスは急性アルコール中毒で死んだのだとする説も存在する(後説によれば、ハーストは禁酒法違反を隠蔽するために事件をもみ消したことになる)。しかし、いずれにしてもインスがオネイダ号上で死んだことは確かであり、またハーストが事件をもみ消し、如何なる訴追からも逃れたことも確かなのである。ハリウッドでは「新聞王の不正」が口々に噂された。D・W・グリフィスは後にこのように語っている。

「ハーストを蒼ざめさせたいなら、インスの名前を出せばいい」

 しかし、そうする者はいなかった。彼を敵に回しても何の得にもならないことを、ハリウッドの住人たちは知っていたのである。




オーソン・ウェルズ

4. バラのつぼみ

 ところが1941年に至って、ハーストを蒼ざめさせるどころか、真っ赤になって怒らせる男が登場した。オーソン・ウェルズである。
 たしかに、この頃のハーストの新聞王国は傾きつつあった。大恐慌の煽りを食らい、長年の浪費も災いして、多くが廃刊になるか合併の憂き目に遭っていた。しかしそれでも、彼がアメリカ最大のメディア王であることには変りがなかった。彼に逆らうことはハリウッドでの職を失うことを意味していた。そんな時代になんでまた、ウェルズは『市民ケーン』を強行したのであろうか?。

 オーソン・ウェルズは「ペテン師」を自称するイタズラ好きの男だった。十代半ばから故郷アイルランドを放浪し始め、ダブリンの劇場で「ブロードウェイの人気者」と偽り、経験もないのに堂々と主演を務める。これが評判となり渡米。やがてラジオの演出を手懸けるようになり、1938年、火星人襲来のラジオ放送で全米をパニックに陥れる(第7章「空飛ぶ円盤、地球を襲撃す」参照)。
 この事件での演出力を見込まれてハリウッドに招かれたウェルズは、まずジョセフ・コンラッドの小説『闇の奥』の映画化を企画(第4章「闇の奥」参照)、しかし、予算オーバーのために大富豪ハワード・ヒューズをモデルにした企画に乗り換える。ところが、ウェルズはどういうわけか再び企画を変更、ヒューズではなくハーストをモデルに選ぶ。結果、完成したのが『市民ケーン』だったというわけである。

 では、ウェルズは何故にハーストへと変更したのか?。
 ウェルズとしては、ペテンの上にペテンを重ねて招かれたハリウッドで盛大なる花火を打ち上げたかった。世界中をアッと云わせるような、映画史に後々にまで語り継がれるような、何か大きなイタズラをしでかしたかった。
 そんな時にウェルズはこんな噂話を耳にした。

「新聞王ハーストは愛妾マリオン・デイヴィスの香しきプッシーを『バラのつぼみ』の愛称で呼んでいる」

 イタズラ好きのウェルズは、この時に『市民ケーン』の全構想を思いついたに違いない。よし。ならばあの新聞屋をひとつおちょくってやろう。これは面白いことになってきたゾ。
『市民ケーン』を観たハーストは愕然としたことだろう。なにしろ明らかに自分がモデルのこの映画では、全編を通じて可愛い愛人の性器が取り沙汰されているのである。しかも。しかもである。この映画の冒頭で、老いぼれケーンは「バラのつぼみ」と呟きながら死んでいくのだ。
 もうお判りだろう。ウェルズとはこういう男なのだ。イタズラのためなら手段を厭わない。自分がどうなろうと構わない。彼はそうせずにはおれなかったのだ。彼は映画作家である以前に、天才的なトリ ックスターだったのである。




ウィリーとマリオン、仲良く踊る

5. バラのつぼみ、その後

 ところで、『市民ケーン』の主人公ケーンは結局、愛人に見捨てられ、孤独のうちに死んでいく。このこともウェルズがハーストの逆鱗を買う大きな要因だった。しかし、現実は映画とは異なり、マリオンはハーストを見捨てなかった。51年にハーストが逝くまで、マリオンは彼の可愛い「バラのつぼみ」であり続けた。莫大な遺産を相続した彼女がその直後に若いつばめと結婚しなければ、その献身は美談として語り継がれたかも知れない。

 さて、最後に、本章をそのまま映画化したような作品が00年に公開されたことについて触れておこう(本章の執筆は95年)。『ザ・ディレクター〜「市民ケーン」の真実』がそれだ。リーヴ・シュレイバーがウェルズを、ジェイムズ・クロムウェルがハーストを、そしてメラニー・グリフィスがマリオンを好演している。「バラのつぼみ」の真相もちゃんと暴かれていて、至れり尽せりだ。(特にハーストが「バラのつぼみ」と聞いて愕然とするシーンは爆笑もの)。
 もっとも、映画はウェルズを映画を愛する一途な若者として描いており、感動させようという意図が見え見えだが、私は彼はもっとアチャラカな男だったと思う。反面、ハーストを人間的に描いているのには好感が持てた。


参考資料

『ハリウッド・バビロン』ケネス・アンガー著(リブロポート)
『世界醜聞劇場』コリン・ウィルソン著(青土社)
『地獄のハリウッド』(洋泉社)
『ハリウッド、危険な罠』ジョン・オースティン(扶桑社)
シネアスト6『喜劇の王様たち』(青土社)
アサヒグラフ『ハリウッド1920ー1985』(朝日新聞社)


 

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