4. バラのつぼみ

 ところが1941年に至って、ハーストを蒼ざめさせるどころか、真っ赤になって怒らせる男が登場した。オーソン・ウェルズである。
 たしかに、この頃のハーストの新聞王国は傾きつつあった。大恐慌の煽りを食らい、長年の浪費も災いして、多くが廃刊になるか合併の憂き目に遭っていた。しかしそれでも、彼がアメリカ最大のメディア王であることには変りがなかった。彼に逆らうことはハリウッドでの職を失うことを意味していた。そんな時代になんでまた、ウェルズは《市民ケーン》を強行したのであろうか?。

 オーソン・ウェルズは「ペテン師」を自称するイタズラ好きの男であった。十代半ばから故郷アイルランドを放浪し始め、ダブリンの劇場で「ブロードウェイの人気者」と偽り、経験もないのに堂々たる主演を務める。これが評判となり渡米。やがてラジオの演出を手懸けるようになり、1938年、火星人襲来のラジオ放送で全米をパニックに陥れる(第7章「空飛ぶ円盤、地球を襲撃す」参照)。
 この事件での演出力を見込まれてハリウッドに招かれたウェルズは、まずジョセフ・コンラッドの小説《闇の奥》の映画化を企画(第4章「闇の奥」参照)、しかし、予算オーバーのため、大富豪ハワード・ヒューズをモデルにした企画に乗り換える。ところが、ウェルズはどういうわけか再び企画を変更、ヒューズではなくハーストをモデルに選ぶ。結果、完成したのが《市民ケーン》だったというわけである。



 では、ウェルズは何故にハーストへと変更したのか?。
 ウェルズとしては、ペテンの上にペテンを重ねて招かれたハリウッドで盛大なる花火を打ち上げたかった。世界中をアッと云わせるような、映画史に後々にまで語り継がれるような、何か大きなイタズラをしでかしたかった。
 そんな時にウェルズはこんな噂話を耳にした。

「新聞王ハーストは愛妾マリオン・デイビスの香しきプッシーを《バラのつぼみ》の愛称で呼んでいる」。

 イタズラ好きのウェルズは、この時、《市民ケーン》の全構想を思いついたに違いない。よし。ならばあの新聞屋をひとつおちょくってやろう。これは面白いことになってきたゾ。
《市民ケーン》を観たハーストは愕然としたことだろう。なにしろ明らかに自分がモデルのこの映画では、全編を通じて可愛い愛人の性器が取り沙汰されているのである。しかも。しかもである。この映画の冒頭で、老いぼれケーンは「バラのつぼみ」と呟きながら死んでいくのであるッ。
 もうお判りであろう。ウェルズとはこういう男なのだ。イタズラのためなら手段を厭わない。自分がどうなろうと構わない。彼はそうせずにはおれなかったのだ。彼は映画作家である以前に、天才的なトリ ックスターだったのである。



 

5. バラのつぼみ、その後

 ところで、《市民ケーン》の主人公、ケーンは結局、愛人に見捨てられ、孤独のうちに死んでいく。このこともウェルズがハーストの逆鱗を買う大きな要因だった。しかし、現実は映画とは異なり、マリオンはハーストを見捨てなかった。1951年にハーストが逝くまで、マリオンは彼の可愛い「バラのつぼみ」であり続けた。莫大な遺産を相続した彼女がその直後に若いつばめと結婚しなければ、その献身は美談として語り継がれたかも知れない。
 いずれにしても、マリオン・デイビスは45本の出演作があるにもかかわらず、「ハーストの妾」としてしか我々に記憶されていない。

 さて、最後に、本章をそのまま映画化したような作品が00年に公開されたことについて触れておこう(本章の執筆は95年)。《ザ・ディレクター〜「市民ケーン」の真実》がそれだ。リーヴ・シュレイバーがウェルズを、ジェイムズ・クロムウェルがハーストを、そしてメラニー・グリフィスがマリオンを好演している。「バラのつぼみ」の真相もちゃんと暴かれていて、至れり尽せりだ。(特にハーストが「バラのつぼみ」と聞いて愕然とするシーンは爆笑)。
 もっとも、映画はウェルズを映画を愛する一途な男に描いており、感動させようという意図が見え見えだが、私は彼はもっとアチャラカな男だったと思う。反面、ハーストを人間的に描いているのには好感が持てた。(了)


《主な参考資料》
*《ハリウッド・バビロン(1+2)》ケネス・アンガー(リブロポート)
*《「市民ケーン」、すべて真実》ロバート・キャリンジャー(築摩書房)
*《世界醜聞劇場》コリン・ウィルソン(青土社)
*《詐欺とペテンの大百科》カール・シファキス(青土社)
*《世界変人型録》ジェイ・ロバート・ナッシュ(草思社)
*《万国奇人博覧会》G・ブクテル&J・C・カリエール(筑摩書房)
*《愛人百科》ドーン・B・ソーヴァ (文藝春秋)
*《シリーズ20世紀〜4・メディア》(朝日新聞社)