市太郎には、もう一つの思惑があった。女給をしている妹のとみが妊娠していたのだ。父なし子を産むのは世間体が悪い。千葉を父親に仕立て上げれば、近所の口も封じられよう。
 しかし、いざ同居してみると、千葉は生来の怠け癖を遺憾なく発揮し、朝から晩まで呑んだくれ、腹の大きいとみに昼間から挑みかかる始末。口を開けば、郷里の財産、郷里の財産。渋谷に実姉が住んでいるというので、確かめに行ったら他人と判った。
 業を煮やした市太郎は、工面して旅費を作り、土産物まで持たせて千葉を秋田へやった。財産処分のためである。ところが二ケ月ほどして帰ってきた千葉は手ぶらで、小作争議がどうのこうの、まだ売ることができないのなんのかんの。このペテン師め、出て行けっ。妹の亭主に出て行けとは何事だあっ、てんで、出産したばかりのとみを足蹴にする。貧乏のどん底の中で赤ん坊はとうとう餓死するが、葬式も出してやれなかった。
 愛児の亡骸の前で泣き伏しているとみの髪を引きずると千葉は、出て行くから、お前もついて来いっ。その声に逆上した市太郎は、側にあったスパナを掴み、千葉の脳天めがけて振り降ろす。
 むがごっ。  
 ドウッと倒れた千葉を 一家総がかりで殴り殺した。昭和七年二月十一日のことである。


 屍体の始末に困った兄弟たちは、相談の上、バラバラにすることにした。手足は長太郎が勤める東大の天井裏に隠し、残りはとりあえず床下に埋めた。ところが、一ケ月ほどして長太郎がちょっとしたことから警察の御世話になる。家宅捜索でもやられた日にゃ大変だ。慌てた市太郎ととみは、胴体と頭をハトロン紙に包むと自転車で一路、玉ノ井へ。その帰りにとみは、玉ノ井の居酒屋に住み込み奉公の交渉をしている。

 以上からも判る通り、有名な「玉ノ井バラバラ事件」において玉ノ井は、屍体の棄て場を貸しただけだったのである。そのとばっちりで発狂した者がいるのだから、甚だ迷惑なはなしだ。(本章は部分的にフィクションであることを、ここにお断わりしておく)。(了)


《参考資料》
*《明治百年一○○大事件》松本清張監修(三一書房)
*《廓の生活》中野栄三(雄山閣)
*《シリーズ20世紀〜2・女性》(朝日新聞社)
*《戦後50年》(毎日新聞社)
*《寺島町奇譚》滝田ゆう(筑摩書房)