ハーマン・ビリク
Herman Billik (アメリカ)


 

 ボヘミアからの移民、ハーマン・ビリクがシカゴに「大魔術師ビリク/カードと占いの館」を開いたのは20世紀初頭のことである。副業として媚薬やら何やらの如何わしいものを売っていたようだ。やがてマルティン・ヴズラルという近所の牛乳屋の親父が小金を溜め込んでいることを知ったビリクは、彼をペテンにかけることにした。店の軒先きに立ち、
「お前さんには敵がいる。お前さんを破滅させようと企んでいる」
 と脅かしたのだ。
 えっ? おれに?
「その通り。それはお前さんの商売仇だ」
 マルティンに心当たりはまったくなかったが、自称魔術師の自信たっぷりな態度に不安となり、遂にはすっかり信じ込んでしまった。
 ビリクはマルティンの家にたびたび訪れ、そのたびに悪魔払いの報酬として大枚な金をかすめ取った。やがて、そろそろ金が底をついたと悟るや、ビリクは第2段階へと進む。保険金殺人である。

 1905年3月27日、家長のマルティンが激しい腹痛と共にぽっくりと逝き、その後もメアリーティリーローズエラと4人の娘が相次いで後を追う。それぞれ2000ドル、800ドル、600ドル、300ドル、100ドルの保険金が未亡人の懐に転がり込んだ。諸君もそろそろお判りかと思うが、ビリクと未亡人はいつの間にかデキていたのだ。
 1年半ほどの間にこれだけ葬式が出れば疑われるのも道理。ご近所の噂は官憲の耳に届き、日頃から胡散臭く思われていた大魔術師は逮捕された。一方、未亡人はというと、愛人の逮捕を予期していたかのように砒素を飲んで自殺した。

 掘り起こされた5つの遺体すべてから砒素が検出されて、大魔術師は死刑を云い渡されたわけが、信者たちの猛烈な抗議によって終身刑に減刑された。その後、8年間服役しただけで釈放されたというから解せない話だ。責任者出て来い。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)


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