ジョン・ボーデン
John Bowden (イギリス)


 

 殺しの方法はいろいろとあるが、これほど残酷なものは珍しい。なにしろ生きたままバラバラにしてしまったのである。

 1980年11月9日、ロンドンはキャンバーウェル午前4時。通報を受けた警察は、公営アパートの一室に踏み込むや否や肝を潰した。部屋中が血の海だったのだ。壁には血しぶきが飛び散り、テイクアウトの中華料理が食べ残されたテーブルにも血だまりができていた。そんな血生臭いところでグースカ眠る男3人女1人。
 よく寝てられるなあ。
 夜明けと共に付近一帯のゴミ箱からバラバラ死体が発見されて、血の海のワケが判明した。ドナルド・ライアンという47歳の元ボクサーが、この部屋でバラバラにされたのである。
 主犯はジョン・ボーデンという26歳のアル中だった。強盗、恐喝、傷害を繰り返していた無法者で、殺人は初めてだったのだが、いきなりホームランを打ってしまった。公判で明らかになった犯行は、事件から30年も経過した今日でも語り草になるような壮絶なものだった。

 そもそもの目的は強盗だったらしい。ボーデンが「酒でも飲もう」とライアンを、アル中仲間のマイケル・ウォードとその愛人シャーリー・ブリンドル、そしてデヴィッド・ペグリーの3人がいるアパートに誘い込み、だしぬけに空瓶で頭の殴って気絶させた。ポケットを探ると、たった20ポンドしか持っていなかった。腹を立てたボーデンはライアンを煮えたぎった風呂に放り込み、煮立ったところで引き上げて、電動ナイフで手足を切断したのである。ライアンがいつ死んだのかは判らない。しかし、最後に首を切った時には、出血多量でもう事切れていたと思われる。

 バラしたライアンをビニール袋に詰めると、4人は中華料理で腹ごしらえして棄てに行き、帰りにパブに寄って酒盛りした。そして、へべれけになって血の海の中でグースカ寝ていたところを警察に踏み込まれたのである。
 警察に通報したのはウォードの本妻だった。この極悪4人組は、ライアンを棄てに行く途中で、何故か彼女を訪ねて、たった今仕出かしたことを自慢げに話していたのだ。如何にもアル中。愚の骨頂である。

 ジョン・ボーデンは終身刑を宣告された。その際に判事は、25年間は仮釈放を認めるべきでないとした。
「ボーデンは相手に苦痛を与え、殺すことを明らかに楽しんでいた。これほど身の毛のよだつ前例を私は知らない」
 ボーデンは判事に毒づいた。
「このクソじじい! てめえなんかガンになって死んじまえ!」

 今回の教訓は「強盗は計画的に」。被害者のライアンは失業中だったので、金を持っている筈がないのである。


参考文献

『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)
『死体処理法』ブライアン・レーン著(二見書房)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


BACK