ウィリアム・バーキット
William Burkitt (イギリス)


 

「生まれつきの殺人者」は存在するのだろうか?
 生来的犯罪者説を初めて唱えたのはチェザーレ・ロンブローゾである。ダーウィンの『種の起源』に感銘を受けた彼は、これを犯罪学の分野に応用できないものかと思案、囚人の身体的特徴を調べ上げて、その成果を著書『犯罪者』で発表した。1876年のことである。
 彼が生来的犯罪者の身体的特徴として挙げたのは「後頭部の陥没」「小さい頭蓋骨」「異様に大きい親知らず」「発達しすぎている顎」「長すぎる手」等で、要するに原始人の特徴である。これをダーウィンのいう「隔世遺伝」、つまり「原始人への先祖返り」だとし、ぶっちゃけた話が「そんなヤツは生まれつき危ねえ」と唱えたのだ。

 このような学説が生まれた背景には「累犯者の激増」がある。産業革命により貧富の差が拡大し、いくら罰則を強化しても累犯者が一向に減らない。そこで、従来の刑罰論ではアカンのではないか、こいつらには罰則など馬の耳に念仏だから、予め隔離しちまえ、と唱えたわけだ。
 今日の我々からすれば無茶な話であり、また、当時の人々も流石に無茶だと思った。ロンブローゾの支持者もいたことはいたが、主流になることはなかった。そして、ナチスの優生学政策が明るみになった今、身体的特徴から人を判断することはあってはならないこととされている。
 そんなわけで「生まれつきの殺人者などおらん」というのが今日の建て前である。しかし、現実に眼を向けると、殺すために生まれてきたような野郎がウヨウヨしている。このウィリアム・バーキットもその一人である。


 イングランド北東部の漁港ハルで漁師をしていたウィリアム・バーキットの最初の犯行は1915年のことである。愛人であるタイラー夫人の喉にナイフを何度も振り降ろして殺害したのだ。ところが、どういうわけか陪審員の同情を買い、謀殺よりも軽い故殺罪が適用されて12年の刑に留まった。

 刑期は更に減刑されて、9年後の1924年に釈放されたバーキットは、またしても人妻のエレン・スペンサーと同棲を始め、直に殺害してしまう。まったく反省していなかったのだ。ところが、英国では裁判の公正を保つために被告人の前科を陪審員に知らせてはならないことになっている。そのためにバーキットはまたしても故殺罪が適用されて10年の刑に留まった。

 9年後の1935年に釈放されたバーキットは、またしても人妻のエマ・ブルックスと同棲を始める。掠奪愛が好きな男である。そして殺人も好きなようだ。1939年3月1日、川に身を投げて自殺を図ったバーキットの自宅からは血まみれのエマ・ブルックスが発見された。
 陪審員はまたしても故殺罪を適用したが、裁判官がこれを牽制した。

「陪審は被告人の過去を知らない。殺人の罪で起訴されて被告人席に立つのがこれで三度目だということを。三度ともに殺害したのは同棲していた女性だった。そして、三度ともに陪審は寛大だった。しかし、被告人の犯行には情状酌量の余地はない。このたびは天寿が尽きるまで刑に服することになるだろう」

 彼に真に必要だったのは刑罰ではなく精神治療である。過去の二度の裁判でその狂気を見抜けなかったことが招いた悲劇だったのだ。
 ちなみに、終身刑を云い渡されたバーキットは1954年に医療施設に収容されたが、翌年に脱走。すぐに捕らえられて、1年後の1956年12月24日に死亡した。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)


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