マイケル&スーザン・カーソン
Michael & Suzan Carson (アメリカ)



夫妻によるヒッピー村の防衛計画

 チャールズ・マンソンは30人余りの手下を従えて世界革命を起こそうとしたわけであるが、それをたった2人だけで起こそうとした夫婦がいる。マイケルとスーザンのバカップルである。

 マイケル・カーソンは1950年、オクラホマ州でジェイムス・クリフォード・カーソンとして生まれた。父親は石油会社の重役で、ニクソン大統領のエネルギー問題に関する相談役も務めた人物だという。アイオワ州立大学を卒業後、結婚してアリゾナ州フェニックスに移り住む。そこでスーザンと運命的な出会いをするのである。
 1941年生まれのスーザン・バーンズは、やはり裕福な家庭の出身で、結婚して2人の子持ちだったが、8年前から別居中だった。2人の共通点は既に下火となりつつあったカウンター・カルチャーにどっぷりとハマっていたことだ。意気投合した彼らはすべてを投げ捨てて、ジェイムスはマイケルに、スーザン(Susan)はスーザン(Suzan)に改名すると、英国に渡ってストーンヘンジで2人だけの結婚式を挙げた。1978年6月21日のことである。帰国後は麻薬の売人をしながら放浪生活を始めた。そして、どんどんとバカになっていった。

 彼らが信奉したのはマンソンとは異なり、アラーの方だった。しかし、純粋にイスラムの教義を信じていたわけではなく、占星術やらニューエイジやらがごちゃごちゃに混じった、彼ら独自のものだったようだ。ロナルド・レーガンを「666の数字を持つ男」として最終的な暗殺ターゲットとしていたそうだから、聖書も混じっているのだ。
 そもそも「マイケル」だって「ミカエル」だから聖書だよな。
 彼らは自らの犯行を「ジハード」と呼び正当化しようとしていたが、これを「ジハード」と呼ぶならばイスラムの人々は怒り狂うだろう。それほどに彼らの犯行はナンセンスである。

 最初の犠牲者はケリン・バーンズという23歳のトップレス・ダンサーだった。魔術に興味のある彼女は、胡散臭い夫婦の話に興味を持ち、サンフランシスコのアパートで一緒に暮らし始めたのだ。すっかり彼女にのぼせ上がったマイケルは、彼女を「第2の妻」にしようと提案した。これに嫉妬したスーザンは、宇宙の誰かさんとのチャネリングでこのようなお告げを授かった。
「あの娘は魔女じゃ。スーザンのフォースを、マイケルのおちんちんを通じて吸い取ろうとしておるのじゃあ」
 アラーも彼女を殺せと云う。仕方がないのでマイケルは、もったいないと思いながらも、睡眠中の彼女の頭にフライパンを振り降ろした後、ナイフで13回も突き刺した。
 どこが「ジハード」やねん。

 遺体をそのままにしてそそくさと逃げた2人は、ポートランドの安ホテルで『はじめに戦いありき』という本の執筆を始めた。前半はマイケルが執筆し、その後ろでスーザンは竹笛を吹き、飽きると麻薬を小分けして袋に詰める内職をした。後半はスーザンがチャネリングで授かったことをマイケルがタイプで口述筆記した。その一部が私の手元にあるが、何のことやらさっぱり判らないので割愛する。

 どうにか本を書き上げた2人は、それをどうするでもなく、再び放浪生活を始めた。第2の犯行は1982年4月20日のことだ。クラーク・スティーヴンというマリファナ農場の経営者が「悪魔」だとのお告げがスーザンに下ったのだ。マイケルは素直に従い、彼の頭を撃ち抜いた。遺体は焚き火で燃やそうとしたが、全然燃えないのでニワトリの堆肥の中に埋めて胡麻かした。

 1983年1月11日の最後の犯行も「お告げ」が引き金である。ベーカーズフィールドでヒッチハイクをしていた2人を親切にも乗せてくれたジョン・ヘルヤーが「魔法使い」だったのだ。
「この男はトリプル・スコルピオよ!(意味不明) 殺らなくちゃ! 殺らなくちゃだわ!」
 銃を向けられたヘルヤーはマイケルと揉み合いになり、やがて銃を奪い取ったところで、スーザンに背中を刺された。ギャッと叫んで仰け反ったところをマイケルが頭に3発バンバンバン。
 教訓「公道で人を殺してはいけません」
 2人はその場で逮捕され、終身刑を宣告された。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『平気で人を殺す人たち』ブライアン・キング著(イースト・プレス)


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