ロナルド・フランク・クーパー
Ronald Frank Cooper (南アフリカ)


 

 我々が殺人事件に魅せられるのは、机上ではとても思いつかないような突飛な人間ドラマを垣間見ることが出来るからである。そして、このロナルド・フランク・クーパー(26)の事件ほど突飛なものも珍しい。連続殺人犯になることを決意した彼は、その計画を日記に書き綴っていたのだ。1976年3月17日の日記にはこうある。

「俺はホモ殺人犯になろうと思う。男の子を捕まえて、犯して殺すのだ。いつも同じ方法じゃない。手で絞め殺したり、紐で絞め殺したり、刺し殺したり、喉を掻き切ったりする。窒息させることもある。狙うのは7歳から16歳ぐらいまでだ。そして、30人殺したら、今度は女を6人殺すんだ」

 この日記の1ケ月ほど前、クーパーはトレスリン・ポール(10)という少年を銃で脅してヨハネスブルグの公園に連れ込んだ。しかし、途中で心が揺らいだらしく、何もせずに逃がしている。わざわざ日記を書いたのは、心が揺らがないように己れを奮い立たせるためなのかも知れない。

 4日後にクーパーは、10歳の少年をナイフで脅したが、叫ばれたので逃げ出した。その直後、別の10歳の少年の首を絞めようとしたが、またしても叫ばれたので逃げ出した。
 しかし、彼はくじけなかった。2ケ月後の5月16日、遂に念願を果たす。エレベーターの中でマーク・ジョン・ガーネット(12)を絞殺したのだ。そして、ズボンを脱がして犯そうとしたが、うまく行かない。猛烈な罪悪感が彼を襲い、萎えてしまったのだ。頭を抱えて帰宅した彼は、日記にこう書き綴った。

「とんでもないことをしでかしてしまった。もとに戻すことが出来ないものだろうか。こんなことはもう二度としたくない。無邪気な男の子の首を絞めるなんて悪いことだ」

 当たり前だ。

「人を殺しちゃダメだ。それがやっと判った。俺は本当に情けない畜生だ」

 殺されたマークは、2ケ月前に襲われたトレスリン・ポールの友達だった。そして、トレスリンはクーパーの居所を掴んでいた。かくして、あっさりと捕まったクーパーは、その日記が証拠となり、死刑を宣告された。1978年1月16日に処刑されている。

 判らないのはクーパーの動機である。性的なものが感じられるが、激情に駆られて殺したようには見えない。極めて理性的に行動しているし、他人を思いやる心も棄ててはいない。いったい何が彼をそうさせたのだろうか?
 判っていることは、父親を憎悪していたということである。己れを汚すことで、父親をも汚そうとしたのだろうか?
 また、11歳の時に、少女の首を絞めたことがあるそうだ。精神的な疾患があったのかも知れない。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)


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