ディーン・コール
Dean Corll
a.k.a. The Candy Man (アメリカ)



ディーン・コール(軍隊時代の写真)

 
エルマー・ウェイン・ヘンリー(左)
デヴィッド・ブルックス(右)


コールの「拷問台」


発掘される犠牲者の遺体

 1973年8月8日午前8時24分、テキサス州パサデナの警察に若い男からの通報があった。
「たった今、人を殺しました」
 警察が急行すると、木造平家建ての家の前に2人の青年と1人の少女が腰を下ろしていた。うちの1人が通報者のエルマー・ウェイン・ヘンリーだった。彼の案内で家に入ると、全裸の男がうつぶせで倒れていた。家主のディーン・コールだった。

 ウェインの供述によれば、事のあらましは以下の如し。
 エルマー・ウェイン・ヘンリー(17)とティモシー・カーリー(16)はその晩、ディーン・コール(34)に呼ばれていた。午前3時頃、家出したばかりで行く所のないロンダ・ウィリアムズ(15)を連れて行くと、コールは怒って怒鳴り散らした。
「何で女なんか連れて来たんだ! お前らのせいで何もかもぶち壊しだ!」
 しかし、コールは機嫌を直し、4
人で「ペイント・パーティ」を始めた。要するに、トルエンの吸引である。そして、1時間後には意識を失った。
 やがてウェインが目を覚ますと、縛られて、手錠をかけられていた。他の2人も縛られていた。コールが拳銃を押しつけながら囁いた。
「お前たちを殺してやる。だが、その前にたっぷりと楽しませてもらうぞ」
 ウェインは命乞いをして、なんとかコールの怒りをなだめようとした。許してくれたら他の2人を殺すのを手伝うと約束した。コールは了承し「お前はロンダを犯せ」と命じた。 ウェインがロンダに馬乗りになると、コールもティモシーを犯しにかかった。ティモシーは必死に抵抗した。コールが拳銃を手放すと、ウェインは素早く掴んで銃口をコールに向けた。そして叫んだ。
「やめろ! ディーン、やめるんだ!」
 コールは身構えると、ウェインを嘲った。
「ほう。殺れるもんなら殺ってみな。ほら、殺ってみるよ!」
 ウェインは無我夢中で引き金を引いた。コールは床に崩れ落ちた。うつぶせに倒れた背中に向けて、ウェインは更に残りの弾丸を撃ち込んだ。6発すべてを撃ち尽くしたところで我に返り、2人の手錠を外して通報した…。

 コールの家を捜索した警察は「拷問台」と、その傍らに置かれたハンティング・ナイフ、そして、40cm以上もある張り形を発見した。これが初犯ではないことは明らかだ。ウェインを追求すると、コールに少年を紹介して金をもらっていたことを告白した。
「彼は人を殺すのは初めてじゃない、これまでに何人も殺して、ボート小屋に埋めたと云っていました」
 その日の午後、ウェインは捜査官をヒューストン南西部のボート小屋に案内した。掘ってみると出るわ出るわ、なんと17人もの遺体が埋められていた。ウェインはサム・レイバーン湖付近の別の場所にも案内した。そこからは4人の遺体が発見された。次いでハイアイランド・ビーチにも案内した。ここでも6人の遺体が発見された。合計27人である。ウェインはこの他にも4人の遺体があるという。当初は同性愛者の痴話喧嘩程度にしか思われていなかった殺人事件が、世界を揺るがす大量虐殺事件へと膨れ上がってしまった。

 やがてウェインは、デヴィッド・ブルックス(18)という青年が事件に関係していることを告白した。彼は2年ほど前、デヴィッドからコールを紹介されたというのだ。
 出頭したデヴィッドは、コールとは喧嘩別れして、今ではもう会っていないし、殺人にも関与していないと弁明した。そして、ウェインこそが殺人に関与していると供述した。
 捜査官の印象では、2人ともコールの共犯者に思えた。

 さて、ここで時間を戻して、本項の主人公たるディーン・コールについてお話ししよう。
 ディーン・コールは1939年12月24日、インディアナ州ウェインズデイルで生まれた。両親は彼が6歳の時に離婚した。以後は母に溺愛されて育った。
 コールが同性愛に目覚めたのは軍隊時代のことである。除隊後は母がヒューストンで経営する菓子工場を手伝っていた。菓子をただでくれるので「キャンディマン」の愛称で子供たちに親しまれていた。
 当時12歳のデヴィッド・ブルックスも菓子をもらった1人である。やがてコールはデヴィッドにフェラチオを教えた。してくれるたびに5ドル与えた。次第に2人は離れられない関係になっていった。

 1968年には菓子工場をたたみ、コールは電気工に転職した。彼が初めて殺人を犯したのはその2年後のことである。1970年9月25日、テキサス大学の学生、ジェフリー・コーネンがヒッチハイク中に行方不明になったのだが、彼の遺体はハイアイランド・ビーチで発掘された。具体的に何があったのか、コールが死んでしまった今となっては知るよしもないが、おそらく男色行為を迫って拒絶されたのだろう。
 また、その頃にこんなことがあった。コールの部屋に無断で入ったデヴィッドは、2人の裸の少年が「拷問台」に縛りつけられているのを目撃した。コールは激怒し、デヴィッドを追い払った。後にコールは「あの2人は殺した」とデヴィッドに打ち明け、口止めとしてコルベットを買い与えた。

 デヴィッドは今やコールの共犯者だった。コールと共にコルベットで街を流し、気に入った少年を見つけると誘い込む。デヴィッドがウェインをコールに紹介した頃には、殺人は慢性的になっていた。
「ウェインが仲間になってからの殺しのほとんどは、3人が関係してます」
 具体的にどのように拷問して殺したのか、あまりに残虐なので、ここでは多くを語るまい。ただ、遺体のいくつかは去勢されていたことを記述するに留める。

 犠牲者がここまで膨らんだ要因の一つとして、警察の怠慢が挙げられる。警察は行方不明になった少年たちの捜索に全く尽力していなかったのである。たしかに、その多くが不良少年で、家庭にも問題があったと云わざるを得ない。しかし、そうであるが故に偏見を抱き、故意に捜査しなかったと思われても仕方がない。
 そのことを誤魔化すためなのかどうかは不明だが、コールの犠牲者の発掘は27人で打ち切られた。ウェインが供述した残りの4人は発掘されなかった。
 また、菓子工場時代に工場の敷地で穴を掘るディーンが目撃されており、遺体を埋める穴だったとすれば、最初の犯行は遡ることになる。ところが、警察はちょこっと掘っただけで打ち切りにしている。
 そんなわけで、コールの犠牲者は27人に留まらない。35人に上るだろうと見られている。

 なお、エルマー・ウェイン・ヘンリーとデヴィッド・ブルックスは殺人容疑で有罪となり、終身刑を宣告された。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)
週刊マーダー・ケースブック64『キャンディマンの少年狩り』(ディアゴスティーニ)
『世界殺人者名鑑』タイムライフ編(同朋舎出版)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『ジャーク』デニス・クーパー著(白水社)


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