メアリー・アン・コットン
Mary Ann Cotton (イギリス)



メアリー・アン・コットン

 メアリー・アン・コットンは近代稀に見る毒殺魔であり、英国史上最悪の女性連続殺人犯である。その悪名は、下のような子供の戯れ歌に残っている。

 Mary Ann Cotton
 She's dead and she's rotten
 She lies in her bed
 With her eyes wide open
 Sing, sing, oh, what can I sing
 Mary Ann Cotton is tied up with string
 Where, where ? Up in the air
 Sellin' black puddens a penny a pair

 メアリー・アン(旧姓ロブソン)は1822年、イングランド北東部ダーラム付近の炭坑町で生まれた。20歳の時にウィリアム・モーブレイと結婚し、5人の子供をもうけたが、その5人が5人とも胃炎で死んだ。そして、夫までもが胃炎で死んだ。それは生命保険を掛けて間もなくのことだった。
 ほどなくジョージ・ウォードと再婚したが、彼もまた14ケ月後に胃炎で死んだ。
 まもなく5人の子持ちのジョン・ロビンソンと再婚するも、うちの4人が胃炎で死んだ。ロビンソン自身は死ななかったが、メアリーに貯金のすべてをトンズラされている。

 その後、フレドリック・コットンと再婚し、ようやくメアリー・アン・コットンとなった彼女の周りは相変わらず死屍累々である。
 まず、結婚式の直前に義姉のマーガレット・コットンが胃炎で死んだ。
 次いで、コットン家のご近所さんが飼っている豚が続々と死んだ。その死はメアリーが嫁いでからのことなので、彼女が原因として疑われた。おかげで一家は引っ越すハメになった。
 引っ越した途端にフレドリックが胃炎で死んだ。1871年9月19日のことである。
 矢継ぎ早にメアリーの連れ子(ロビンソンとの間の子らしい)と、生まれたばかりの乳飲み子が胃炎で死んだ。さらに、下宿人兼愛人のジョセフ・ナトラスも胃炎で死んだ。1872年7月12日には夫の連れ子も胃炎で死んだ。1年も経たないうちにメアリーを除く一家が全滅してしまった。さすがにこれはただごとではないと動いた警察が遺体から砒素を検出し、遂に希代の毒婦はお縄となったのである。
 この他にも、実の母も殺しているらしい。

 死刑を云い渡されたメアリーは1873年3月24日、絞首刑に処された。昔のことなので確かなことは判らないが、少なくとも14、5人は確実に殺していると見られている。動機は、さっぱり判らない。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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