リチャード・ファーレイ
Richard Farley (アメリカ)



リチャード・ファーレイ


ローラ・ブラック

 ローラ・ブラックリチャード・ファーレイに出会ったのは1984年4月のことである。カリフォルニア州シリコンヴァレーにあるESL社でエンジニアとして働いていた彼女は、同僚から1人のソフトウェア技師を紹介された。それがファーレイだった。その日以降、ファーレイは彼女の職場を毎日欠かさず訪れるようになった。そして1週間後にはデートを申し込まれた。彼女は、
「職場ではそういう関係を持ちたくないんです」
 と丁重に断ったが、彼は諦めなかった。毎日デートを申し込み続けた。そして、住所と電話番号を執拗に訊ねた。ローラは断り続けた。

 やがてプレゼント攻撃が始まった。それでも断り続けると、退社後のローラをストーキングするようになった。コンビニで偶然を装い声をかけたり、彼女が聴講する大学の講議に顔を出したり、彼女が通うエアロビクス教室に参加したりと、いよいよヤバくなってきた。
 身の危険を感じたローラは、会社にその旨を訴えた。会社はファーレイにカウンセリングを受けさせた。ところが、彼はやめるどころか、どんどんと脅迫的になって行った。或る日、彼は自分が海兵隊で11年勤めた射撃の名手であること、そして熱心なガン・コレクターであることを彼女に告げた。我慢の限界だった。彼女は会社にファーレイの解雇を要請した。会社は要請に従った。

 ところが、ローラの悪夢は終わらなかった。否。むしろ本格的な悪夢の始まりだった。ファーレイからのラブレターが彼女の家の郵便受けに直接投函されるようになったのだ。彼女は読まずに破り棄てた。すると、翌日のラブレターは玄関に鋲で止められていた。封筒にはこのように書かれていた。
「中身を読んだ方がいいと思うよ」
 つまり、ファーレイは破り棄てたことを知っていたのだ。どこかであいつが見張っている…。そう思うと居ても立ってもいられなくなった。彼女は三度も家を変えたが無駄だった。ラブレターは毎日のように届き、その数は200通を越えた。そして或る朝、彼女の車のフロントガラスに鍵が置かれていた。それは、何処で手に入れたのか、彼女の家の鍵だった…。
 身の危険を感じたローラは、その足で弁護士に相談し、裁判所の禁止命令を求めた。仮処分が下りて、ファーレイはローラから300ヤード以内には近寄れなくなった。ところが、恐るべきことに、ファーレイはまだ諦めていなかった。

 1988年2月17日、ショットガン2挺、ライフル1挺、拳銃4挺、そして1100発の弾丸を携えたファーレイはESL社前に降り立った。セキュリティ・ドアの自動ロックを銃弾で壊すと建物内部に侵入し、遮る者に手当たり次第に発砲した。まるで「太っちょターミネーター」である。7人を殺害、2人を負傷させたところでローラを見つけた。そして、彼女に目掛けて引き金を引いた。左肩が砕けて肺が潰れた。気が済んだのか、ファーレイはそれ以上撃たなかった。彼女は一命だけは取り留めた。
 ファーレイはその後、6時間にも渡って篭城し、交渉人との電話での会話で思いの丈を熱く語った。
「ただ彼女とデートしたかっただけなんだ。一度でいいから」
 とばっちりで殺された者は堪らない。俺はそれだけのことで殺されたのかと思うと成仏できまい。

 裁判においてファーレイは、彼女の目の前で自殺して罪の意識を感じさせようとしただけなのだと弁明した。ところが、侵入と同時に気分が高まってトランス状態に陥り、次々と発砲してしまった。3メートルもある男や小さな警官隊の幻覚と挨拶を交わし、幽体離脱して発砲する自分を見たとも語っている。しかし、いずれの主張も陪審は認めず、ファーレイは死刑を宣告された。

 本件を機にアメリカではストーキング防止法が制定された。ストーカーという言葉とその恐ろしさを広く世間に知らしめたという意味で、意義のある事件ではあったかと思う。
 なお、本件は『Stalking Laura』(邦題『ストーカー異常性愛』)のタイトルで映画化されている。主演はブルック・シールズなので、皇太子殿下も御覧になられているやも知れぬ。


参考文献

『世界殺人者名鑑』タイムライフ編(同朋舎出版)


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