ジョセフ・ポール・フランクリン
Joseph Paul Franklin (アメリカ)



ジョセフ・ポール・フランクリン

 ジョセフ・ポール・フランクリンは世にも稀な「人種的に動機づけられた連続殺人犯」である。
 1950年4月13日、アラバマ州モービルの貧しい家にジェイムス・クレイトン・ヴォーンとして生まれた彼は、若い頃からナチズムに傾倒し、ジョージア州アトランタに移ってからはアメリカ・ナチ党とKKKに参加した。そして、1976年にジョセフ・ポール・フランクリンと改名した。「ジョセフ・ポール」はナチスの宣伝相パウル・ヨーゼフ・ゲッベルスから、「フランクリン」はアメリカ建国の父ベンジャミン・フランクリンから頂戴した。つまり、彼の名前はナチスとアメリカの融合を意味しているのである。

 フランクリンの「たった一人の人種闘争」が始まったのは1977年8月7日のことである。ウィスコンシン州マディソン郡のショッピングモールで、黒人のアルフォンス・マニングと、白人の女友達トーニ・シュウェンを射殺したのだ。彼にとっては白人が黒人と恋愛関係を結ぶことは許されざることだったのである。
 1979年10月にはオクラホマ州オクラホマシティでやはり黒人と白人のカップルを、1980年1月にはインディアナ州インディアナポリスで2人の黒人青年を、6月にはオハイオ州シンシナティで2人の黒人少年を射殺した。そして8月20日、ユタ州ソルトレイクで2人の黒人青年を射殺した件で逮捕された。

 彼の犯行は広域に渡るため、その全貌は把握し切れていない。しかし、少なくとも20名は殺害していると見られている。さまざまな州で終身刑を宣告されているが、1997年にミズーリ州で遂に死刑を宣告された。
 なお、アダルト雑誌『ハスラー』の創刊者として有名なラリー・フリントを銃撃し、不具にしたのは彼である。理由は『ハスラー』が白人と黒人のファック写真を掲載したからであった。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)


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