スティーヴン・ジュディ
Steven Judy (アメリカ)



スティーヴン・ジュディ

 宅間守が自らの死刑執行を望んだ時、私はゲイリー・ギルモアを思い出したが、ギルモアと宅間はあまり似ていない。ギルモアが絶望の果てに死を望んだのに対して、宅間は虚勢を張っていただけのように思えるのだ。出来ることならば生きていたい。しかし、世間は許しちゃくれない。ならばいっそのこと、悪を全うして死んでやろう。そんな空威張りが見えるのだ。宅間はむしろ、このスティーヴン・ジュディに似ている。最期まで世間に毒づき、反省の情を終ぞ見せなかったところなどそっくりである。

 1979年4月28日、インディアナ州インディアナポリス近郊のホワイトリック川で女性の遺体が発見された。ほとんど全裸のままうつ伏せで、顔は水に浸っていた。強姦された後に絞殺されたのである。更に、下流では3人の子供(男2・女1)の遺体も見つかった。いずれも溺死だった。
 女性の傍らに落ちていた小切手から、テリー・チャスティーンとその子供たちであることが判明した。彼女はその日の朝に家を出て、子供たちを託児所に預けてから仕事に向う予定だったのだ。

 やがて発見現場でピックアップトラックを目撃したとの情報が寄せられ、その線でスティーヴン・ジュディ(22)が浮上した。彼はその朝、テリーを見かけて欲情し、車を並行させてタイヤを指さした。パンクかと思った彼女が停めて調べている隙に、ボンネットを開けてイグニッション・コイルを切り取った。そして、ガソリンスタンドまで乗せるふりをして犯行に及んだのである。子供たちは母親の悲鳴を聞いて駆けつけたところを川に投げ込まれたのだ。極めて非情な犯行である。

 この男の過去を遡ると、その心は取り返しがつかないほどに荒んでいることが判る。典型的な崩壊家庭で生まれたジュディは、幼くして両親に見捨てられた。養父母は愛情を注いでくれたが、その時にはもう遅すぎた。12歳で近所の女性を襲い、ナイフで41ケ所も刺した上、頭を斧で斬りつけたのである。奇跡的に女性は命を取り留め、彼は精神病院に収容された。ところが、わずか9ケ月で釈放されてしまう。そして、18歳の時にシカゴで女性を暴行し、12ケ月服役している。常習的な強姦犯だったのだ。

 裁判でジュディは陪審員に向ってこのように云い放った。
「次はお前さんか、娘さんかも知れないぜ。だから俺を死刑にした方がいい」
 その通りに死刑を宣告された彼は上訴することなく、1981年3月8日、電気椅子により処刑された。彼は処刑される前に養母にこのように打ち明けたという。
「俺はこれまで、テキサスからフロリダ、ルイジアナ、イリノイ、インディアナにかけて、思い出せないほどの数の女性を殺してきたんだ」
 真偽は不明だが、かなりの誇張があるように思える。虫けらのようなこの男は、虚勢を張って死にたかったのだろう。


参考文献

『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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