ジョセフ・カリンジャー
Joseph Kallinger (アメリカ)



指名手配されたカリンジャー親子の似顔絵

 1937年にペンシルバニア州フィラデルフィアで生まれたジョセフ・カリンジャーの悲劇は、キチガイ夫婦の養子になったことに始まる。鞭で打たれ、炎の上に手をかざされ、
「おちんちんを切っちゃうよ」
 などと脅されながら育った。御陰で彼の人格は破綻した。養父に肛門を犯された後、ナイフを握り締めながらオナニーに耽った。

 やがて自らも立派なキチガイに成長したジョセフは、1972年に児童虐待の容疑で投獄された。長男のジョー・ジュニアに告発されたのである。その2年後の1974年秋、ジュニアは空きビルの中で遺体となって発見された。その直前に出所したジョセフの仕業であることは間違いない。

 完全に正気を失って「神の声」が聞こえるようになったジョセフは、まだ13歳の三男マイケルを仲間に引き入れて、強盗、強姦、誘拐、
殺人を繰り返した。1974年7月7日に誘拐された少年の遺体は性器が切断されていた。性器を切られることがトラウマになっていたジョセフ・カリンジャーは、性器を切ることに異常に執着していたのだ。

 キチガイほど恐ろしいものはないが、キチガイであるが故に無防備で、捕まえるのは簡単だった。1975年1月8日に押し入られた家に残されていた血まみれのシャツには、洗濯屋のタグがついていたのだ。その線から名前が割れて、キチガイ親子はあっさりと逮捕された。

 ジョセフ・カリンジャーは明らかに責任無能力者だったが、陪審員は社会の安全を優先して終身刑を宣告した。その奇行は刑務所でも治まらず、腹にライターオイルで火をつけて卵を焼こうとしたり、マットレスのビニールカバーを被って窒息死しようとしたりと手に負えない。結局、精神病院に収容された。そして、1996年3月26日に獄中で死亡した。60歳だった。
 一方、息子のマイケルは保護観察のみでシャバに放たれた。現在は行方知れずである。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)


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