キングズベリー・ランの屠殺者
The Mad Butcher of Kingsbury Run (アメリカ)



エリオット・ネス


最初の犠牲者


バスケットの中の「ハム」


燃えるドヤ街


ネスが受け取った嘲りの手紙

「アンタッチャブル」で知られるエリオット・ネスが、アル・カポネとの対決で勝利した後にどうなったのかについては、我が国ではほとんど知られていない。実は連続バラバラ殺人犯と対決し、敗北していたのである。

 1935年9月23日、オハイオ州クリーブランド。ピッツバーグへと通じる線路の脇はキングズベリー・ランと呼ばれているが、ここで遊んでいた少年が、首のない男の遺体を発見した。全裸で黒い靴下だけを履き、性器も切断されていた。捜査する警察は、10メートルほど離れた雑木林の中でもう一人の男の遺体を発見した。同様に首と性器が切断されている。遺体の近くの地面から毛髪が生えていた。頭部が埋められていたのである。性器も、まるで放り投げられたかのように近くに転がっていた。
 この事件で奇妙な点は、地面にも遺体にも血が付着していなかったことである。別の場所で殺害し、頭部と性器を切断し、血抜きしてから洗浄して遺棄したのだ。
 しかも、恐るべきことに、死因は首の切断であることが検視解剖により判明した。犯人は生きたまま首を切断したのである。その切断面は、肉屋か外科医のように鮮やかだった。
 指紋照合の結果、最初の犠牲者はエドワード・アンドラシーという前科者であることが判明した。両刀使いのポン引きで、愛人の男が何人もいた。恨みがある者も何人もいた。しかし、いずれも「シロ」だった。新聞が「キングズベリー・ランの屠殺者」と書き立てた犯人の手掛かりは一向に掴めなかった。

 4ケ月後の1936年1月26日、遺体遺棄現場にほど近い東20番街。
犬があまりに吠えるので、住人の婦人が外に出た。鎖に繋がれた犬は、工場の壁の脇に置かれたバスケットに向かって吠えていた。その中身はハムに見えた。しかし、すぐに人の腕であることに気づいて悲鳴をあげた。もう一つのバッグには女性の下半身が入っていた。2週間後には近くの空き地で、片方の腕と脚が見つかった。指紋照合の結果、フローレンス・ポリーロという売春婦であることが判明した。
 この発見は警察を困惑させた。犯人はホモであると信じていたのだ。ところが、どうやら過度のサディストではあるがホモではない。捜査を洗い直さなければならなかった。

 この頃には警察だけでなく、市の公共治安局も事件に取り組み始めていた。この時の局長がエリオット・ネスだった。シカゴでギャングを一掃した後、34年にクリーブランドに移転し、この地のギャングと戦っていたのだ。
 しかし、連続殺人犯を捕まえることはギャングを一掃するのとはわけが違うことが、ネスにも次第に判ってきた。ギャングは金の匂いがするところに集まる。だから、誘き出すことは簡単だ。ところが、このたびの殺人鬼はどうすれば誘き出すことが出来るのか、さっぱり判らなかった。何を考えているのかさえも判らない。まったくお手上げだったのだ。

 1936年から38年にかけて、更に9人の犠牲者が見つかった。いずれも首を切られているかバラバラだ。犠牲者には規則性がなく、性別、年齢もまちまちだ。黒人女性も犠牲になった。犯人の輪郭がまったく掴めなかった。
 但し、一つだけ明らかになったことがある。犯人はドヤ街の住人(要するに浮浪者)から犠牲者を選んでいるようなのだ。そこでネスは今取り得る唯一の対策を実行する。なんと、ドヤを急襲して数百人の住人を逮捕し、周辺一帯を焼き払ってしまったのだ。最後の犠牲者が発見された2日後の1938年8月18日のことである。
 たしかに、この焼き討ちにより「屠殺者」の犯行は途絶えた。しかし、その強引な手法は批判を浴びることになる。
 翌年7月には冤罪事件も起している。3人目の犠牲者フローレンス・ポリーロの内縁の夫が容疑者として逮捕されたのだが、その自白の内容は辻褄が合わなかった。まもなく彼は拘置所内で首を吊って自殺。肋骨が2本折れていた。拷問により自白させられたことは明白だった。

 後にネスが語ったところによれば、彼は「ホンボシ」の見当をつけていた。上流階級に生まれた大柄な男で、精神疾患を罹った前歴があった。ネスはこの男(仮にゲイロード・サンドハイムと呼んでいた)を食事に誘い、そして尋ねた。
「君が巷を騒がしている『屠殺者』じゃないのかね?」
 サンドハイムは笑って、こう答えた。
「証拠があって云っているのかい?」
 その直後、サンドハイムは自ら進んで精神病院に入院した。つまり、このたびはサンドハイムの方が「アンタッチャブル」となってしまった。ネスが有罪の証拠を見つけても、精神異常で無罪を申し立てることが出来るからだ。

 その後の2年間、ネスは何枚もの嘲りの手紙を受け取った。
「冬になったから太陽の照るカリフォルニアに行くことにしたよ。あんたもこれでゆっくり休めるだろ? 解剖はイヤなもんだったが、すべては医学のためだ。いずれ医学会を驚かせてやるよ。世の中には病気で身体がねじ曲がった人が何百っているんだ。あいつらがいなくなったからって何だっていうんだ?」
 この手紙の送り主が誰なのかは判らない。しかし、サンドハイムが精神病院で死ぬと、この手紙は来なくなった。
 ネスはサンドハイムこそが「屠殺者」であると確信している。しかし1942年、ペンシルヴァニア州ニューキャッスル郊外の貨物車の中で、同じように切断された遺体が3つも発見された。この件も未解決のままである。

 なお、エリオット・ネスはその後、離婚、交通事故と災いが続き、1942年に公共治安局を辞職。1947年にはクリーブランドの市長選に出馬するも落選。週給150ドルのセールスマンにまで身を落とした。
 1955年にかつての学友でジャーナリストのオスカー・フレイリーと偶然に出会い、アル・カポネとの対決を本に書いたらどうだと薦められた。その本は1959年にドラマ化されて大ブームとなるわけだが、その時にはネスはもうこの世にはいなかった。1957年に心臓発作で死亡していたのだ。「屠殺者」の事件以降は運に見放されたかのような人生だった。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『殺人の迷宮』コリン・ウィルソン著(青弓社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『SERIAL KILLERS』JOYCE ROBINS & PETER ARNOLD(CHANCELLOR PRESS)


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