クレイ兄弟
Reginald & Ronald Kray
a.k.a. The Kray Twins (イギリス)



レジーとロニーのクレイ兄弟


兄弟の少年時代

『空飛ぶモンティパイソン』第2シーズンの第1話には、ダグとディンズデイルという双子のギャングに関するいんちきドキュメンタリーが登場する。当時逮捕されたばかりのクレイ兄弟のパロディだ。弟のディンズデイルにはビルよりも巨大なハリネズミが見えるというのが笑いどころになっていた。これはロナルド・クレイの頭がおかしいことを揶揄したものだ。とにかくクレイ兄弟は暴力的で、当時のロンドンでは最も厄介な存在だった。

 レジナルド(通称レジー)とロナルド(通称ロニー)のクレイ兄弟は1933年10月24日、イーストエンドの貧民窟に生まれた。抜け出すためにはボクサーになるかヤクザになるかの2つに1つと云われる場所だ。兄弟はまずボクサーから始めた。16歳でのデビューだったが、すぐさま暴行事件を起こして警察沙汰に。気がついたらナイトクラブの用心棒になっていた。やがて金の取り立ても任されるようになり、凶暴な双子は暗黒街でめきめきと頭角を現して行った。

 1956年11月、ロニーの方が少々やりすぎて、傷害の罪で3年の刑を喰らった。いつも一緒だったレジーと引き離されたことが辛かったのだろうか。ロニーは次第に精神に異常を来し、遂には精神医療施設送りとなった。
 一方、レジーはというと、ウエストエンドのカジノを乗っ取り、実業家への道を着実に歩んでいた。やがて釈放されたロニーは愕然とした。自分はいまだにチンピラのままだが、レジーは正装でカジノを取り仕切る大物になっていたのだ。
 ところが、ロニーが釈放されると、レジーもまた、なし崩し的に凶暴だった頃に戻ってしまうのだ。そして、暗黒街を恐怖により支配するのである。この辺りの「双子の感応性」は『戦慄の絆』のマーカス兄弟に似ていて興味深い。レジーは1965年4月に幼馴染みのフランセス・シェイと結婚するが、2年と続かなかった。フランセスが睡眠薬自殺をしたのだ。原因はもちろんロニーである。仲良し兄弟は一時も離れず、新妻はひとり孤独に精神を蝕まれていったのだ。

 レジーはストレートだが、ロニーはゲイだった。そして、このことが殺人へと発展する。対立する組のジョージ・コーネルが口にした「ロニーはデブのホモ野郎だから気にすることないぜ」という陰口がロニーの耳に入ったのだ。かつて「太ったね」とからかわれただけで、そいつの顔をめった斬りにしたことのあるロニーだ。黙っている筈がない。彼奴がパブで飲んでいるところをつかつかつかと近寄って、有無も云わさず右眼に一発撃ち込んだ。目撃者は何人もいた。しかし、そのことを警察に話す者は1人もいなかった。1966年3月9日のことである。

 人を殺してもへっちゃらだったことでロニーは上機嫌だった。法律を超越した存在であることが証明されたからだ。そして、レジーにもしきりに殺人を勧めた。
「お前も殺ってみろよ。殺っちゃえって」
 そこで彼らの金をかすめ取っていた小悪党、ジャック・マクヴィティを見せしめとして殺ることにした。「パーティーだよ」と呼び出して、彼が店に入ってくるなり壁に押しつけ、銃口をこめかみに当てて引き金を引いた。弾は出なかった。もう一度引いたがまた出ない。レジーは舌打ちをすると銃を捨てて、部下が手渡すナイフで切りつけた。まず顔を、そして腹を。ジャックは床に倒れ込んだ。
「やめるな、レジー。殺っちまえ」
 ロニーの声援に勇気づけられたレジーは、力の限りにナイフを喉に振り降ろした。ギニャッと声を上げて息絶えるジャック。ナイフは喉を突き抜けて、床に突き刺さっていたという。

 この他にも何人もの行方不明者(いずれもヤクザ)が出るに至って、スコットランド・ヤードはようやく重い腰を上げた。クレイ一家の一斉検挙である。兄弟はそれぞれ30年の刑を喰らった。塀の中でも暴力沙汰が絶えなかったロニーは精神異常と診断されてブロードムーア送りとなり、薬物治療を受け続けて1995年3月17日に死亡。一方、レジーは2000年8月26日に釈放されたが10月1日に死亡。兄弟はようやく伝説となったのである。


参考文献

『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)
週刊マーダー・ケースブック23(ディアゴスティーニ)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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