ヘンリー・ルーカス
Henry Lee Lucas (アメリカ)



ヘンリー・ルーカス


オーティス・トゥール(左)とハイ、チーズ


母親殺しで逮捕された当時のヘンリー

「史上最悪の連続殺人犯は誰か?」と訊かれて、誰もがヘンリー・ルーカスを思い出すことだろう。自供した犠牲者の数は当初は100人だったのだが、やがて360人に膨らみ、630人を経て、遂には1000人を越えた。かと思うと突然に「これまでのはなしはぜんぶウソ」と前言を翻した。彼の話のどこまでが本当なのか判らない。実際の犠牲者は数人に過ぎないのかも知れない。しかし、そうだとしても彼が「史上最悪の連続殺人犯」であることには変わりない。もっとも、この場合の「最悪」とは「タチが悪い」という意味なのであるが。

 ヘンリー・ルーカスの伝説は1983年6月11日、ケイト・リッチという82歳の老婆殺しの容疑で逮捕された時から始まる。併せてベッキー・パウエルという15歳の同棲相手も殺したことを認めたヘンリーは、他にも100人の殺害を仄めかした。この裁判を傍聴していた地元紙『オースティン』のマイク・コックスによる記事「放浪者が100人の殺害を自供」がスクープとして全米を駆け巡り、その日のうちにヘンリーは一躍有名人になってしまったのである。

 ヘンリーの供述によれば、1978年からアメリカ全土を股に掛けて殺人行脚を繰り広げた。相棒はベッキーの叔父オーティス・トゥールである。2人は強盗や強姦を繰り返す一方で、「死の腕(The Hand Of Death)」というカルト集団の殺し屋としても働き、いわゆる「スナッフ・ムービー」にも関与し、オーティスに至っては犠牲者を食べていた(ヘンリーも食べさせられたが「バーベキューソースが嫌いなので」あまり食べなかった)。
 にわかには信じられない話である。
 しかし、全てがルーカスの作り話だと断じることも出来ない。オーティス・トゥールは実在の人物であり、ヘンリーに先んじて放火殺人の容疑で逮捕されていたのだ。「死の腕」云々は嘘八百だとしても、彼らが強盗、強姦、放火を繰り返していたことは紛れもない事実なのである。テキサス州警察は早速「ヘンリー・ルーカス対策委員会」を編成し、その真偽の検証を始めた。

「ひょっとしたらウチの管轄の未解決事件もこいつらの犯行じゃないかしら」
 全国の州警察から問い合わせが殺到した。そのほとんどをヘンリーはホイホイと認めた。
「それはおいらがやりました。それもおいらがやりました。あ、それは相方の仕事です」
 瞬くうちに26州の警察が200件以上の未解決事件を解決してしまった。
 左目が義眼で歯がすり減った風采の上がらない小男が生まれて始めて注目を浴びた。今や彼はアメリカ中の、否、世界中の注目の的である。しかも、自供し続ける限り特別待遇で、好きなものが食べられる。現場検証のための小旅行も楽しめる。そして、刑が執行されることもない。裏返せば、彼は自供をやめれば処刑されてしまうのである。だからこそ犠牲者の数はどんどこ膨れ上がっていったのだ。

 こうした構造的な問題から、彼は実は3人しか殺していないのではないかとの見解もある。ケイト・リッチとベッキー・パウエル、そして、1970年に刑期を終えた母親殺しの3件である。しかし、当局は少なくとも157件は彼らの犯行だとしている。犯人でしか知り得なかった事柄をヘンリーは知っていたというのだ。これに対して識者からは、
「誘導尋問により供述を引き出して、未解決事件の棚卸しに彼らを利用したのではないか?」
 との批判が浴びせられているが、ここから先は水掛け論だ。真相はヘンリーだけしか知らないのだから。

 ヘンリーと一緒になってホイホイと自供し続けたオーティス・トゥールは1996年9月15日に肝硬変で死亡した。一方、ヘンリー・ルーカスも2001年3月13日に心臓発作で死亡した。2人とも処刑されることなく天寿を全うしたのである。あっぱれである。自供し続けることで生き長らえた彼らの戦法は前代未聞であり、こういう連中とどう向き合うべきなのかが今後の課題であろう


参考文献

『死の腕』マックス・コール著(中央アート出版社)
『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
週刊マーダー・ケースブック89『殺人への執念』(ディアゴスティーニ)
『世界殺人者名鑑』タイムライフ編(同朋舎出版)
『食人全書』マルタン・モネスティエ著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)


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