シルベストル・マツーシュカ
Sylvestre Matuschka (ハンガリー)



シルベストル・マツーシュカ

 1931年9月12日深夜、ブタペスト発ウィーン行きの急行列車がビアトバギー橋に差し掛かった時のことである。大爆発で鉄橋が大破し、列車は峡谷へと落下した。まさに『カサンドラ・クロス』である。金属音が唸りをあげ、蒸気の煙りが立ち上った。死者22人、負傷者120人の大惨事となった。

 生存者たちは負傷者の救出作業にあたったが、その中に奇妙な男がいた。なにやらしきりに喚いている。
「私は先頭車両に乗っていたのです。ところが、御覧下さい。生きています。奇跡じゃありませんか。それもこれも私が信心深かったおかげです。聖アントニウスのメダルをかけていたおかげで命拾いすることができたのです」
 ショックのために頭がおかしくなったのだろう。お気の毒に。
 ところがこの男、消防隊が駆けつけると、今度は顔を血みどろにして同じようなことを喚き始めたのだ。さっき血ぃ出てなかったやん。
 そうかと思うと突然に冷静になり、
「鉄道会社は賠償金を払ってくれるだろうか?」
 などと訊いて回る始末である。疑惑の眼を向けられるのは当然だ。

 実はこれに似た事件が既に2件も起きていた。アンスバッハでは線路上に鉄の棒が置かれていただけだったので大事には至らなかったが、8月8日のユテルボルクでは10人の死者が出た。今回と同様に爆弾が仕掛けられており、脱線した列車が堤防を転げ落ちたのだ。

 数々の聞き込みから、例の奇妙な男が容疑者として浮上した。彼は「先頭車両に乗っていた」にも拘らず全く負傷していなかったばかりか(血みどろだったのは自分で塗りたくっただけだった)、そもそも列車に乗っていた形跡がなかったのである。
 男はシルベストル・マツーシュカという40歳の実業家だった。採石場を所有していたが、経営は火の車で、自宅は差し押さえられていた。にも拘らず連日のように歓楽街で遊び呆けていたようである。ウィーンの赤線では知らぬ者はいないほどの有名人だった。
 彼は最近、採石場で使うと称して強力な発破を購入しており、これが事件に使われたものと同じだった。もう二度と惨劇を起こさせてはならない。マツーシュカは直ちに逮捕された。

 マツーシュカの過去を洗った検察官は震え上った。第1次大戦での功績で勲章まで授かったことのあるこの男の専門は「軍事物資輸送列車の破壊」だったのである。プロだったのだ。戦後は実業家として成功を修めたが、事業が左前になるにつれて奇行が目立ち始めた。
「私の行為は神の命令によるものです。私は神から人を殺す資格を与えられているのです。聖アントニウスがいつも私を守って下さるのです」
 このように法廷で供述するマツーシュカは明らかに狂人だった。終始笑みを浮かべ、メチャメチャになった遺体の写真を見せつけられても全く動じなかった。職業を訊かれると、得意げに、
「脱線屋です」
 などと答えて大笑いした。どえらいキチガイであるにも拘わらず、裁判官は死刑を宣告した。ま、仕方あるまい。

 ところが、マツーシュカは結局、死刑にはならなかった。聖アントニウスが守って下さったのかどうかは知らないが、オーストリアに引き渡され、別件で裁かれて服役した。やがて第二次大戦が勃発し、1946年のソビエト侵攻のどさくさに紛れて脱走したとされている。

 ここからが説の分かれるところである。故郷に帰ったマツーシュカは、追われて川に飛び込んで溺れ死んだという説がある一方で、ソビエト側にスカウトされて「脱線屋」になったという説もある。朝鮮戦争で橋を爆破しようとしているところを米軍に捕まったという話もあるが、実際のところは判らない。とにかく、死刑にだけはなっていない。


参考文献

『世界犯罪者列伝』アラン・モネスティエ著(宝島社)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)


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