フレデリック・モース
Frederick Mors (アメリカ)



コミックにもなった『Dr. ギグルス』

『Dr. ギグルス』という「自分のことを医者だと思い込んでるキチガイがいろいろと殺してまわる映画」がある。その元ネタではないかと思われるのが、このフレデリック・モースの事件である。

 オーストリアのウィーンで生まれたモースは、1914年にニューヨークに移住し、やがてブロンクスの介護施設で雑役夫として働き始めた。この男の過去については殆ど知られていないので、どうしてそうなったのかはさっぱり判らないが、次第に自分のことを医者だと思い始めた。雑役夫のくせに白衣で身を包み、聴診器を首から下げて、偉そうな態度で施設をうろつき、患者たちに「先生」と呼ぶように命じていたという。
 彼が働き始めた1914年9月から15年1月にかけて、施設での死亡率が急増した。4ケ月で17人である。これはただごとではないと通報を受けた警察は聞き込みを始めた。誰もが「あいつが怪しい」と名指ししたのが、云うまでもないだろうが「白衣の雑役夫」だった。

 尋問されたモースはあっさりと犯行を認めた。
「すべて私のせいではありませんよ。私が殺したのは8人だけです」
 動機を訊かれると、
「ごらんなさい。ここの老人たちの惨めな状態を。これでは生きていても仕方がありませんよ。だから救ってあげたのです」
 当初は砒素で殺そうとしたが、これがなかなか捗が行かない。そこでクロロホルムによる殺害を思いついた。
「まず手始めに、クロロホルムを染み込ませた脱脂綿を鼻孔に近づけるんですよ。するとたちまち気を失う。そこで体中の穴という穴を脱脂綿で塞ぐ。仕上げとして喉に少量のクロロホルムを垂らせばイチコロです」

 心神喪失と認められたモースは、マタウェン精神病院に収容されたが、1916年5月16日に脱走し、現在に至るまで行方知れずである。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)


BACK