アール・ネルソン
Earle Nelson
a.k.a. The Gorilla Killer (アメリカ)



アール・ネルソン

ゴリラ・キラー」と呼ばれた連続殺人犯の最初の犯行は1926日2月20日のことである。サンフランシスコで下宿屋を営むクララ・ニューマンという60歳の老婆が強姦されて首を絞められたのだ。その後のゴリラの暴れっぷりはトンデモないことになっておる。

《1926年》
  3月 2日 ローラ・E・ビール(60)サンノビ
  6月10日 リリアン・セント・メアリ(63)サンフランシスコ
  6月24日 アンナ・ラッセル(58)サンタバーバラ
  8月16日 メアリ・ネズビット(52)オークランド
 10月19日 ベアトリス・ウィザース(35)ポートランド
 10月20日 ヴァージニア・グラント(59) ポートランド
 10月21日 メイベル・フルーク(?)ポートランド
 11月15日 ブランチ・マイヤーズ(48)オレゴンシティ
 11月18日 ウィルヘルミナ・エドマンズ(56)サンフランシスコ
 11月24日 フローレンス・モンクス(?) シアトル
 12月23日 エリザベス・ビアード(49)カウンシル・ブラフズ
 12月 ?日 ボニー・ペース(23)カンザスシティ
 12月28日 ジャーマニア・ハーピン(28)サンフランシスコ
        併せて生後8ケ月の赤子も殺害
《1927年》
  4月27日 メアリー・マッコーネル(60)フィラデルフィア
  5月30日 ジェニー・ランドルフ(35) バッファロー
  6月 1日 ミニー・メイ(53) デトロイト
        アトワーシー夫人(?・メイの下宿人)
  6月 3日 メアリ・ジートセマ(27)
シカゴ

 手口はいつも同じである。「空き部屋あり」と貼られた家を訪問する。大家が女ならば犯して殺す。それだけなのだ。犠牲者の年齢が23歳から63歳まで幅があるのはそのためだ。相手を選ばないのである。とにかくヤリたくてたまらない。そんな感じだ。いかにも低能そうな犯行と、顎が突き出て猿みたいな顔だったとの目撃者の証言から、誰云うとなく「ゴリラ・キラー」と呼ばれるようになったのだ。

 犯行は広域に及び、その足取りを辿るのは容易ではなかった。1927年6月8日にはゴリラは国境を越えてカナダに渡っていた。その日にウィニペグで14歳のローラ・コーワンが行方不明になった。翌日にはエミリー・パターソンが殺害された。手口が「ゴリラ・キラー」と同じだったことから、ウィニペグの警察は下宿屋を中心に聞き込みを始めた。
 やがてキャサリン・ヒルが営む下宿に、6月8日に部屋を借りた男がいることが判明した。彼は「ロジャー・ウィルソン」と署名している。
「いつも聖書を持ち歩く真面目な青年でしたわよ」
 ところが、真面目ではなかったことが部屋の捜索で明らかになる。ベッドの上ではローラ・コーワンがバラバラになって悪臭を放っていたのである。

「ロジャー・ウィルソン」ことアール・ネルソンは、1897年にフィラデルフィアで生まれた。母親は彼が1歳にも満たない時に、夫から性病を伝染されて死亡している。10歳の時に市電にはねられ、脳震盪で6日間も意識不明になった。以後、周期的に激しい頭痛に見舞われた。精神的疾患を窺わせる経歴である。事実、21歳の時に隣家の少女を強姦しようとして逮捕され、精神病院に収容されている。
 逃亡中に逮捕されたネルソンは、1928年1月13日に処刑された。上の22件の他にも余罪があると考えられている。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『猟奇連続殺人の系譜』コリン・ウィルソン著(青弓社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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