ワルバーガ・エステルライヒ
Walburga Oesterreich (アメリカ)



ワルバーガ・エステルライヒ


ワルバーガとフレッド

 彼女の名前は知らなくても「間男を17年間も屋根裏部屋に隠し続けた女」の話は御存知の方も多いかと思う。隠した女も女だが、隠れた男も男である。

 時は1903年に遡る。ウィスコンシン州ミルウォーキーでエプロン工場を経営するフレッド・エステルライヒとその妻のワルバーガは、結婚15周年を迎えて倦怠期のド真ん中にいた。この頃にミシンの修理工としてフレッドに雇われたのが問題の間男、オットー・サンフーバーである。まだ17歳のこの少年は、社長夫人のミシンを直しにお邪魔したのを機に、頻繁に社長宅に訪れるようになった。週に1度は必ずミシンが壊れるのである。
「新しいのを買った方がいいんじゃないか?」
「いいえ、あたしはこのミシンが好きなの!」
 向きになる妻を怪しく思ったフレッドは、探偵を雇って調べさせる。すると妻はあのチビと仲睦まじく、シカゴまで小旅行に出掛けたりしているではあ〜りませんか。
 ウガーッ。
 怒った、怒った、社長が怒った。かたや妻は居直って、どうか別れて下さいと熟年離婚を申し出た。世間体を気にした社長は首を縦に振らなかった。妻を殴り、チビをクビにすることで、どうにかその場は納まった。

 納まらないのは社長夫人の●●●●である。そこで妙案を思いつく。愛しいおチビちゃんを我が家に囲ってしまえばいいのである。これなら探偵に尾行される心配はない。かくしてオットー・サンフーバーの17年間にも及ぶ屋根裏生活が始まった。1905年のことである。その間、社長夫妻は何度か引っ越したが、そのたびに彼はついてきた。まるで付録のような人生である。

 社長夫人の奇妙な二重生活は以下のようなものであった。まず、社長の出社を見送ると、夫人は天井を3回叩く。「ダーリン、今いくわ」の合図である。そして、缶詰やらパンやらチーズやら牛乳やらを両手いっぱいに抱え込むと、屋根裏部屋に上がって行くのだ。で、●●●●を●●●●して、社長が帰宅する頃になると降りてくるのである。
 しかし、よくバレなかったなあ。
 いや、バレそうになったことは何度となくあるのだ。社長も「なんか変だなあ」と常日頃から思っていた。天井裏から物音がする。妻はネズミのせいだと云うが、脚を引きずっているような音もする。どんだけ大きなネズミやねん。書斎に置いてある煙草がなくなり、酒の減り方も尋常じゃない。妻は煙草も酒も嗜まない。もちろんネズミも嗜まない。じゃあ、いったい誰が嗜んでおるのだ?
 或る時などは、庭から家を見上げると、屋根裏部屋の窓から誰かが覗いている!
 ウワーッ。
 仰天した社長は慌てて妻に知らせたが、妻は余計に取り乱し、キャーッお化け怖いわあッと社長に抱きつき、なんだか適当に誤魔化されちゃったのであった。

 一方、囲われちゃったおチビちゃんはというと、もう退屈で退屈で。だけど喰うものには困らないし、●●●●も●●●●だし、ま、いっか、ってなもんで、暇な時間に小説を書いてはパルプ雑誌に投稿したりしていた。
 やがて第一次大戦が始まり、愛国心溢れるおチビちゃんは、
「ボクもお国のために戦う!」
 などと息巻いて、涙ながらに引き止める社長夫人の手を振り払って入隊を志願するも「貧弱な坊や」と笑われて、泣く泣く屋根裏部屋へと引き蘢って行ったのである。



『The Bliss of Mrs. Blossom』

 家庭は悲惨な反面で、事業は順調に売り上げを伸ばし、やがてロサンゼルスに進出した。おチビちゃん5度目の引っ越しである。悲劇はその数ケ月後に訪れた。
 1922年8月22日、ご近所は銃声と女の叫び声を耳にした。直ちに警察が呼ばれ、玄関を蹴破って進入すると、社長が頭を撃たれて床に倒れている。夫人はクローゼットの中に閉じ込められている。曰く、
「着替えをしていると、銃声が聞こえて、クローゼットのドアをロックされたんです」
 ダイヤをちりばめた時計と現金が奪われている。強盗の仕業だろうか?
 ところが、凶器が婦人用の25口径であること、更には事件後に夫人が銃を処分していたことが判明した。かくして夫人は夫殺しの容疑で逮捕された。

 拘留された夫人は顧問弁護士のハーマン・シャピロを呼び、家に行って天井を3回叩くように頼んだ。
「そうすれば屋根裏部屋に住んでいる弟が出て来ます。穀潰しですが、たった1人の可愛い弟です。おなかを空かせている筈なので、おまんまを食べさせてあげて下さい」
 云われるままに天井を3回叩くと出て来た出て来た。貧弱な坊やが顔を出した。久しぶりに人と会って嬉しかったのか、彼は饒舌に真相を明かした。

「ボクは弟なんかじゃありません。奥さんの愛人です。もう17年間も誤魔化してきましたが、あの日は運悪く見つかっちゃたんです。社長がいつもより早く帰って来たんですよ。奥さんをぶん殴ったんで、ボクもカッとなってね、それで撃っちゃったんですよ。悪気はなかったんです。
 もうこんな暮らしは辞めたいんですよ。でも奥さんは離してくれないし、社長は殺しちゃうし。ボク、どうしたらいいんでしょう?」

 哀れに思ったシャピロは街を出ることを勧めた。奥さんのことはなんとかするから、君は自分の人生を歩みなさい。
 かくしてオットー・サンフーバーは17年ぶりに自由の身となり、ワルバーガ・エステルライヒも証拠不十分により釈放された。

 8年後の1930年、良心の呵責に耐え切れなかったのか、シャピロは警察に出頭し、事実をすべて打ち明けた。オットーとワルバーガは起訴されたが、共に時効で無罪放免。殺人については誰も罪を問われることがないままに、奇妙な間男の話だけが語り継がれることとなるのである。

 なお、本件は『The Bliss of Mrs. Blossom』のタイトルで映画化されている。社長をリチャード・アッテンボロー、夫人をシャーリー・マクレーンが演じており、なかなか期待出来そうだが筆者未見。残念である。


参考文献

『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『情熱の殺人』コリン・ウィルソン(青弓社)


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