パパン姉妹
Christine & Lea Papin (フランス)



右が姉のクリスチーヌ、左が妹のレア

 ジャン・ジュネの戯曲『女中たち』のモチーフになった事件である。猟奇的な事件であったために、たびたび映画の題材にもなっている。

 1933年2月2日、クリスチーヌ・パパン(28)と妹のレア(21)はル・マン市ブリュイエール通りの邸宅で殺人の容疑で逮捕された。そこで女中奉公していた姉妹は奥様のランスラン夫人と27歳のを殺害し、その両眼をくり抜き、全身をナイフや斧で切り刻んだのだ。遺体が発見された時、姉妹は憔悴しきって自室のベッドに横たわっていた。いったい何が彼女たちをこのような凶行に駆り立てたのだろうか?

 貧しい家庭に生まれたパパン姉妹は、その生涯のほとんどを修道院で過ごした。外出が一切禁止され、ただ作業場と寝室を往復するだけの閉鎖的な世界で生きてきたのだ。だからランスラン家に女中に出された時は姉妹は大喜びだった。これでこの牢獄から逃げ出せる。姉妹は明るい未来に期待した。
 ところが、ランスラン家も牢獄であることは変わりがなかった。否。それ以上に劣悪だった。外出は一切禁止され、給金はすべて母親に巻き上げられた。姉妹は常にランスラン夫人になじられた。妹のレアは後にこのように述べている。

「奥様はとても冷たい人でした。口にするのは小言ばかりです。いつも私たちを監視していました。角砂糖の数まで数えていたほどです。掃除が終わると、奥様は白い手袋をはめて埃が残っていないか調べて回りました。少しでも残っていれば、やり直しを命じられたのです。とても耐えられませんでした。こんなことはもう終わりにしなくてはと思いました」

 事件当日の晩は姉妹だけで留守番をしていた。すると、電気がショートしてヒューズが飛んだ。これが凶行の引き金だった。姉妹は昨日もアイロンを壊して折檻されたばかりだったのだ。
 ああ、奥様が帰って来たら、また…。
 姉妹が恐怖におののいるところに奥様が帰宅し、ワケも判らず衝動的に犯行に及んだのである。

 法廷で弁護人は心神喪失を理由に無罪を主張した。姉妹には遺伝的な精神異常があるとして、それを立証するために父親のアルコール中毒や姉との近親相姦、従姉妹の狂死、叔父の自殺等を暴露した。また、姉クリスチーヌの妹レアに対する異常な愛情、例えば、
「もし生まれ変わったのなら、きっと妹の夫になるでしょう」
 といった言動を挙げて「近親相姦の同性愛者」という二重の異常者であることを暗に主張した。しかし、判事はこれを聞き入れず、姉妹に有罪判決を下した。

 死刑を宣告されたクリスチーヌは、獄中での食事を一切拒み、
「わたしの妹を返して!」
 と叫び続けながら獄死した。
 一方、10年の懲役と20年の居住制限処分を宣告されたレアは、1941年に釈放されている。妹の方がややマトモだったようだ。


参考文献

『世界犯罪者列伝』アラン・モネスティエ著(宝島社)


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