ペールベイユ荘事件
L'Affaire de l'Auberge de Peyrebeille (フランス)



ペールベイユ荘


想像図では盛大に殺しております

 むかしむかし、フランスはアルデーシュの山奥に追い剥ぎを生業にしている旅籠がありました、というおはなしである。しかし、実際に常習的に人を殺めていたかは否かは不明である。証拠が何もないのだ。ただ、この地域に失踪者が多かったこと、そして、彼らはみなペールベイユ山荘を最後に足取りが途絶えていることの2点を根拠に、主人のピエール・マルタンと妻のマリー、使用人のジャン・ロシャットは処刑されたのである。

 1831年10月12日にアントワーヌ・アンジョラスを殺害したことは間違いないとされているが、この件も物証に乏しい。2人の目撃者が法廷で証言したが、これの信用性も疑わしい。
 1人は宿泊を断られた乞食で、納屋に忍び込んで寒さを凌いでいたところ、アンジョラス殺しの一部始終を目撃したというのだ。しかし、宿泊を断られた腹いせに証言した可能性もある。もう1人は「マルタンとロシャットが大きな袋を運んでいたのを見た」というもので、これも遺体と断定できるものではない。今日の裁判では、この証言だけで処刑することは到底不可能だろう。

 そもそも、町では以前からペールベイユ荘での殺人が噂されていた。曰く、
「パンを焼く釜で死体を焼却しているんだ」
「死体は煮込みにして、客の食事に出しているらしい」
「おれ、あそこの台所で人間の腕を鍋で煮込んでいるのを見たぜ」
 こんな良からぬ噂が立つ中で、隣町のアントワーヌ・アンジョラスが失踪した。
 あいつらがやったのよ!
 遂に町の噂が官憲を動かし、上記3名は御用となったのである。そして、ロクに証拠もないままに処刑された。つまり、彼らは噂に殺されたのである。
 こっちの方が追い剥ぎなんかよりもよっぽど怖い。

 処刑はペールベイユ山荘前で行われた。見物人は3万人を越えたという。彼らの首が転がると歓喜の声が上がったというからトンデモねえ話だ。今日でもペールベイユ荘は保存され、記念館になっている。人を焼いたという釜が見学の目玉なのだそうだ。一度行ってみたいものである。


参考文献

『世界犯罪者列伝』アラン・モネスティエ著(宝島社)


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