リディア・シャーマン
Lydia Sherman
a.k.a. The Queen Poisoner (アメリカ)



シャーマンを題材にした当時の読み物

「毒殺の女王」と呼ばれたリディア・シャーマンは、その称号に恥じないだけの仕事をしている。裁かれたのは11人についてだが、他の15人についても「殺したかも知れない」と仄めかし、最終的には42人を数えるのではないかと云われている。

 最初に毒牙にかかったのは夫のエドワード・ストラックだ。ニューヨークで警察官をしていたが、失態をやらかして失業。これを慰めることなく嘲笑と罵声を浴びせて酒浸りに追い込み、遂には殺鼠剤=砒素で駆除したのだ。1864年のことである。
 ここまでは理解出来ない話でもない。ところが、その後の彼女の行動は常軌を逸している。なんと、エドワードとの間の6人の子供を順繰りに始末したのだ。その中にはまだ9ケ月の乳飲み子も含まれていた。再婚のためには邪魔だと思ったのだろうが、己れの腹を痛めた子をかくも簡単にホイホイと殺せるものだろうか? 呆れるほかない。冷酷な彼女は子供たちに保険金をかけることも忘れなかった。

 1868年、リディアはコネチカット州で農場を経営するデニス・ハールブラットと再婚するも早々に殺害。その財産を数年で使い果たすと、やはり資産家のネルソン・シャーマンと再婚した。その2人の娘を殺害した後、悲嘆に暮れるネルソンにも砒素入りココアを飲ませた。1871年5月12日のことである。
 この件で疑惑を持たれたリディアはニューヨークに高飛びするが、すぐにお縄となって起訴された。証拠は遺体から検出された砒素のみで、有罪とはなったものの第二級殺人罪で終身刑に留まる。5年後に獄死すると「毒殺の女王」の名は伝説として殿堂入り。しかし、その犯行の詳細については殆ど判っていない。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)


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