バートン・アボット
Burton Abbott (アメリカ)


 バートン・アボットのケースは「状況証拠だけで死刑にしてもよいのか?」という問題を孕んでいる。たしかに、数々の状況証拠はアボットの犯行を裏づけている。しかし、彼が真犯人にハメられた可能性も否定できない。そんな男の命を奪っていいわけはない。終身刑に留めるべきだったと私は思う。

 1955年4月28日、カリフォルニア州オークランドで、学校から帰宅途中の14歳の少女ステファニー・ブライアンが行方不明になった。自宅付近の空き地で彼女の教科書が1冊見つかった他には手掛かりがない。目撃者もいない。あたかも神隠しのように彼女は消え失せてしまった。
 2ケ月半後の7月15日、近くに住むバートン・アボットの妻ジョージア・アボットは、自宅のガレージで女物の財布を見つけた。中にはステファニー・ブライアンのIDカードと書きかけの手紙が入っている。日付は4月28日。彼女が失踪した日に書かれたものだ。
「どうしてうちのガレージにこんなものが!?」
 彼女は夫に相談し、その日のうちに警察に届け出た。

 ガレージを隈なく捜索した警察は以下のものを見つけ出した。ステファニーの教科書と眼鏡、そしてブラジャーである。問いただされたバートン・アボットはこのように釈明した。
「このガレージは最近、投票所として使われたことがある。多くの者が出入りしている。その時に誰かが置いていったとしか思えない」
 つまり、真犯人にハメられたと主張したわけだ。仮にそうだとして、お次はアリバイである。アボットは事件の当日、500kmほど離れた山荘に出掛けていたと主張した。警察は早速、警察犬を従えて山荘付近を捜索。そして遂にステファニーの遺体を探し当てたのである。彼女は強姦後に撲殺されて、土中に埋められていたのだ。

 陪審員は有罪を評決、アボットには死刑が云い渡された。しかし、彼は最後まで罪を認めなかった。やがて「状況証拠だけで死刑にしてよいものか?」なる批判の声が高まり、刑の執行は幾度も延期された。最後の延期命令は1957年3月15日午前11時15分にサン・クエンティン刑務所に届いたが、まさにその時にアボットはガス室の中で最期を迎えていた。わずか数分の差で間に合わなかったのだ。

 バートン・アボットは無実だったのだろうか? この点、彼が精神科医だけに打ち明けたとされる言葉が伝えられている。
「母のことを考えると、どうしても罪を認めることは出来なかった」
 自白とも取れる言葉である。しかし、彼が犯人だとしても、モヤモヤとした思いが残る事件であった。

(2008年7月23日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『犯罪コレクション(下)』コリン・ウィルソン著(青土社)


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