エドワード・ボール
Edward Ball (アイルランド)


 1936年2月、アイルランドの首都ダブリンにほど近いシャンキルで、朝刊を配っていた新聞配達が海辺の路上で不審車を発見した。後部座席が血みどろである。
 通報を受けた警察はナンバーから所有者を調べる。「ベラ・ボール」。ダブリンでは有名な医師の夫人で、現在は別居中とのこと。早速、夫人宅に向かうと、居たのは息子のエドワード・ボール(19)ただ一人。

「お母さんはどこだね?」
「さあ、判りません。母は昨日の晩の7時45分頃に、車でどこかに出掛けました。おそらく友達の家にでも遊びに行ったのでしょう」
「いつもそんな感じて行き先も告げずにフラッと出掛けるのかね?」
「ええ、ちょいちょいですよ」
「ちょっと中を調べさせてもらってもいいかな?」
「別にいいですけど、いったい何があったんですか?」
「お母さんが事件に巻き込まれた可能性があるんでね」

 刑事たちはそれぞれの部屋を捜索して回った。特に変わったところはなかった。母親の寝室に鍵が掛かっていること以外には。
 最後に息子の部屋に立ち入ると、
「おや? これは何だ?」
 ベッドの下に新聞紙の包みがある。なんだか濡れているようだ。引きずり出して開いてみると、中身のシーツは血みどろだあ。

「きみぃ、これはなんだね!?」

 息子はしどろもどろで答えられない。意を決して母親の寝室のドアを蹴破ると、うひゃあっ…とは残念ながらならなかった。整然としている。ベッドに寝た形跡さえない。ところが、絨毯は湿っており、電気ヒーターで乾かしている真っ最中だった。

 聞き込みにより、息子が友人にスーツケースを預けていることが判明した。中身は案の定、犯行を疑わせるものばかり。シーツにタオル、女物の衣類や下着。いずれも血みどろである。
 かくして息子のエドワードは、遺体が発見されないまま、母親殺しの容疑で逮捕された。

 エドワード少年は事のあらましをこのように説明した。

「父と別居してからというもの、母はひどくふさぎ込んでおりまして、自室に引きこもっていることがほとんどでした。私が見つけた時にはもう手遅れでした。自ら剃刀の刃で首を切って息絶えていたのです。気が動転した私は、死体を海に捨てようと、後部座席に乗せて海辺に向かいました。しかし、まだ日が高く、人目があります。しかたがないので、道行く人に不審に思われないために、母の死体の隣に座り、肩を組んで、日が暮れるのを待ちました。そして、十分に暗くなった頃に水際まで引きずって海に投じ、あとは潮の流れに任せました」

 一方、検察側はこのように主張した。
「ベッド脇の絨毯には大量の血が染み込んだ跡がありました。かたやベッドはというとまっさらです。つまり、夫人はベッド脇で絶命したのです。脇にベッドがあるというのに、床で自殺する人がいるでしょうか?。本件は息子の犯行とみて間違いありません。事実、血染めの斧が庭で見つかっています。彼は非常にも、己れの産みの親を斧で叩き殺したのです」

 肝心の死体が潮に流されてしまっているので、真実がどうであったのかは判らない。陪審はさんざん考え倦ねた結果、「有罪だが精神異常」と評決し、エドワードは不定期刑に処された。当時としては極めて寛大な措置である。

(2007年10月27日/岸田裁月) 

 

参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)


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