エラ・ベッサラボ
Hera Bessarabo (フランス)


 

 エラ・ベッサラボ、旧姓マルテルは1868年10月25日、フランス中東部リヨンで生まれた。26歳の時に絹の貿易商ポール・ジャックと結婚し、メキシコへと渡る。やがて一人娘を出産するが、ポールと名付けたのだからややこしい。旦那のポールは「Paul」だが、娘のポールは「Paule」である。

 1904年に夫妻はパリへと戻る。幼い頃から感受性が豊かだったエラは自費で詩集を出版し、いっぱしの芸術家きどりでサロンを開き、若いツバメをズラリとまわりに侍らせた。当然のことながら夫婦仲は険悪になって行く。
 1914年3月、20年間続いた夫婦生活は幕を閉じる。旦那のポールが自宅で変死体となって発見されたのだ。足元には拳銃が転がっていた。どこを撃たれていたのかは、いずれの文献にも書かれていないので事情がよく判らないが、とにかく、死因審問は自殺と判定。
「奥様は旦那様に毒を盛っておりました」
 との女中の証言はどういうわけか無視された。判らないことだらけだが、話を進めなければならない。本題はこれからなのだ。夫の遺産を整理したエラは娘のポールを伴って、逃げるようにメキシコへと渡った。

 そうこうするうちに母子が暮らすメキシコシティの牧場で、牧童の一人が射殺される事件が発生。我々はもちろんエラの犯行(痴情のもつれ?)を疑うが、彼女が警察に涙ながらに訴えたところではこうだ。
「頭巾をかぶって馬に乗った4人組が出し抜けに牧場にやって来て、彼を撃ち殺すなり『これで借りは返したぞお』と叫んで去って行ったのです」
 当時のメキシコはかなり野蛮な土地だったので、警察はこの話を信じたが、ご近所さんたちは懐疑的だったようだ。そんな4人組を眼にした者はただの一人もいなかったからである。

 この事件に前後して、エラは材木の貿易商シャルル・ベッサラボと懇意になり、結婚するや再びパリへと舞い戻る。またしても自費で詩集を出版し、サロンを開いては若いツバメを侍らせた。当然のことながら夫婦仲は険悪になって行く。

 1920年7月、パリの東300km、ナンシー駅の手荷物預かり所。ここに届いたトランクから異臭が漂ってくる。否。異臭どころの騒ぎではない。オエッてなるほどの悪臭である。明らかになにか生き物が腐った臭いだ。直ちに呼ばれた警官がオエッてなりながら開けてみると、案の定、人間の腐乱死体が入っていた。
 今、その写真が私の手元にあるが、あまりに惨たらしいので、状況を説明するに留める。
 小太りの男である。背は低そうだ。足首が縛られて折り畳まれている。ズボンは履いていない。ベストだけを身につけている。白黒写真では顔面は真っ黒で、表情はほとんど識別できない。実際には赤黒いのだろう。顔面をめった打ちにされていたらしい。とどめに銃でこめかみを撃たれた。銃創からは脳みそがこぼれ落ちている。
 遺体の身元はすぐに割れた。トランクはパリから送られたものだったが、送り主は正直に「ポール・ベッサラボ」と署名していたのだ。それは彼女の筆跡と一致した。そして、彼女の継父は現在失踪中だった。
 確認のために呼び出されたエラは、遺体が夫であることを否定した。
「夫はもっとイイ男でした。こんな醜男ではありません」
 そりゃ醜男だろうよ。身元の確認ができないほどにめった打ちされているのだから。そのことを指摘されると、彼女はこのような荒唐無稽なことを供述し始めた。

「あれは6月の末のことでした。メキシコから1通の手紙が舞い込みました。それは夫が関係していた秘密結社からのものでした。私にはどんな内容だったかは判りませんが、一瞥して蒼醒めた夫は『しばらく身を潜める』とだけ云い残して家を出ました。
 しばらくして夫から『空のトランクをパリ駅の北口に持って来てくれ』と連絡がありました。私がその通りにすると、夫はトランクをタクシーに積んで、『すぐに戻る』と云い残して走り去りました。やがてタクシーだけが戻って来ました。例のトランクには『ナンシー駅に送ってくれ』と走り書きが添えてありました。その指示通りに娘がナンシー駅に送ったんです。
 そんなわけでね、刑事さん。トランクの中の死体は夫ではなく、夫を始末しにメキシコからやって来た
秘密結社の工作員なんですよ。夫は今、アメリカでピンピンしています」

 メキシコの警察は騙せても、フランスの警察は騙せなかった。遺体を包んでいた防水紙は娘のポールが買ったことの裏が既に取れていたのだ。かくしてエラとポールの両名はシャルル殺しの容疑で逮捕された。

 法廷でも秘密結社のおはなしで押し通したエラだったが、娘のポールが結局折れた。その晩、銃声で眼を覚ました彼女が母親の部屋に駆けつけると、継父が床に倒れていた。エラが云った。
「お父さまが死ぬか、私が死ぬかのどちらかだったの。今夜ここで何があったのかをあなたに云うわけには行かないわ。でも、信じてちょうだい。お父さまを殺したのは私ではありません」
 では、いったい誰だというのだ?。
 ここでポールは母親譲りの荒唐無稽な供述を始めた。

「銃声がする前に、二人の男が云い争っているのが聞こえました。一人は亡くなったお父さま。もう一人の声にも聞き覚えがありました。今思うに、あれは私の実の父、ポール・ジャックの声でした。父はまだ生きており、彼が殺したのだと私は信じております」

 んなバカな。
 母親を助けるための必死の弁明だったのだろうが、信じる者は誰もおらず、母親のエラには20年の禁固刑、かたや娘のポールには無罪が云い渡された。

(2007年4月7日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『死体処理法』ブライアン・レーン著(二見書房)
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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