緑色の自転車事件
The Green Bicycle Case (イギリス)



問題の緑色の自転車


被告席のロナルド・ライト

 1919年7月5日、イングランド中部レスターシャー州ののどかな田舎道で、21歳の女工ベラ・ライトが死体となって発見された。傍らには彼女の自転車が倒れており、左眼の下を貫通した弾丸は5メートルほど離れた場所に落ちていた。金は奪われておらず、強姦もされていない。遺体の状況だけでは動機がさっぱり判らなかった。

 聞き込みにより、その日の彼女の足取りが判明した。朝早く手紙を投函するために自転車で出掛けた彼女は、ついでに近くの叔父の家に顔を出した。その時に緑色の自転車に乗った男が彼女の後をつけていた。不審に思った叔父が問いただす。
「ありゃ誰だ?」
 すると彼女はこう答えた。
「道路で声をかけられたけど知らない人よ」
 その「知らない人」は彼女が出て来るまで待機していたようだ。家路につく彼女の後を追う姿が目撃されている。彼女が死体で発見されたのは、それから1時間後のことである。
 誰が考えても「緑色の自転車の男」が怪しい。しかし、その男の身元について手掛かりが得られぬままに半年が過ぎた。

 1920年2月、現場付近の運河から問題の「緑色の自転車」が船頭により発見された。付近を浚った警察は拳銃のホルスターも発見した。中には弾丸が入っている。それは現場に残されていたものと同じだった。
 自転車の名札や鑑札は剥がされていたが、製造番号から販売した店を特定できた。幸いなことに店には記録が残っていた。購入者はロナルド・ライト。元陸軍士官の学校教師である。ホルスターも陸軍の支給品と判った。彼の犯行である可能性が高い。
(註:日本語に表記すると被害者と同じ姓だが、被害者は「Wright」、こちらは「Light」なので別の姓)

 取り調べを受けたロナルド・ライトは、当初は自転車は売却したと主張していたが、やがて供述をこのように変えた。

「たしかに彼女に声をかけたのは私です。でも、途中でパンクしてしまったので、彼女とは別れました。その後、彼女が射殺されたことを知り、慌てて自転車を捨てました。疑われたくなかったからです。ホルスターと弾丸もその時に捨てました。拳銃はフランスで従軍している時に紛失しました」

 あまりにも都合のいい供述である。到底真実とは思えないが、彼に殺しの動機がないことがよい方向に働いた。彼の弁護を担当した辣腕弁護士、エドワード・マーシャル・ホール卿の仕事っぷりも見事だった。彼はことのあらましをこのように説明してみせた。

「現場に残されていた弾丸はライフルにも使用できます。つまり、被害者は近所の農夫がカラスを駆除するために発砲した流れ弾により殺傷された可能性もあるのです。そして、至近距離から拳銃で撃たれた場合、彼女の傷はもっと酷いことになっていたでしょう。故に遠方からの流れ弾の仕業と見るべきなのです」

 陪審員は「疑わしきは罰せず」の原則に基づき、無罪を評決した。しかし、今日ではロナルド・ライトは有罪だったと見る向きが支配的である。コリン・ウィルソンもこのように評している。

「現代ならば陪審員は動機を造作なく想像できた筈である。しかし、時は1919年。セックス犯罪の時代はまだ到来していなかった。容疑者はこの時代の雰囲気を全面的に享受していた」

 つまり、当時の風潮からは動機がないように思えるが、多くの性犯罪を見て来た我々の肥えた眼からすれば、ロナルド・ライトのストーキング行為は十分な動機を物語っているのだ。

(2007年4月6日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『犯罪コレクション(下)』コリン・ウィルソン著(青土社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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