バワーズ事件
The Bowers Case (アメリカ)


 

 怪しげな医師を巡るサスペンスドラマのような事件である。
 サンフランシスコの開業医、ミルトン・バワーズは過去15年間に3度結婚し、3度とも妻が急逝している。こりゃどう考えてもおかしいと、3度目の時に保険会社が解剖を要求、リンが検出されてパワーズはお縄となった。
 1886年3月から始まった裁判において、バワーズは決して品行方正な人格者ではなく、裏で違法な堕胎を行う悪徳医師であることが明らかになった。そして、殺された妻セシリアの弟、ヘンリーの証言が決定打となり、バワーズは妻殺しの容疑で有罪を評決されるに至った。

 ところが、控訴審の途中でまさかの出来事が起こる。ヘンリーの遺体が彼の下宿で発見されたのだ。枕元のテーブルには青酸カリの瓶と遺書が残されていた。そこには衝撃的な告白が!
「姉を殺したのは私です」
 ババーン!
『火曜サスペンス劇場』ならば、ここでCM。

「♪きれいな白さ、すずらんの香り、ニュービーズ」

 ええと、どこまで話したっけ? あっ、そうだ。遺書だ遺書だ。
 遺書があったにも拘わらず、警察は自殺には懐疑的だった。何故なら、ヘンリーには姉を殺す動機がないからだ。獄中のバワーズが誰か人を雇って殺させたのではないか? その線で捜査は進められて、ジョン・ディミッグなる男が容疑者として浮上した。頻繁にバワーズに面会していた人物である。
 やがてはディミッグが青酸カリを購入していたことを突き止めた警察は小躍りしたが、捜査はそれ以上進展しなかった。結局、状況証拠だけだったために陪審員の意見が割れて、ディミッグを有罪に持ち込むことは出来なかった。そして1889年8月、ミルトン・バワーズも釈放された。証人であるヘンリーが死んでしまった以上、公判を維持できないからである。

 釈放後、再び医院を開業して4人目の妻を娶ったバワーズは、その後は何事もなく1904年に61歳で他界した。劇的なラストを迎えなかったので視聴者の非難は轟々だが、現実とはこんなものである。

(2007年1月13日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)


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