メアリー・アン・ブラフ
Mary Ann Brough (イギリス)


 女性の連続殺人者は結構いるが、大量殺人者は珍しい。しかし、いることはいるので紹介しておこう。

 メアリー・アン・ブラフは20年前に皇室の召使い、ジョージ・ブラフと結婚し、7人の子をもうけた。彼女もまた結婚前にはクラレンス公に仕えていたというから大した上流階級である。しかし、夫との関係は冷えきっていた。夫は彼女の不義を疑い、離婚を求めていたのである。
 1854年6月9日、ジョージは友人の立ち会いの下、有能な弁護士を雇って親権を奪う旨を彼女に伝えた。それは彼女にとって死刑宣告も同じだった。
 彼女の中の何かが壊れた。

 翌朝、まだ夜が明けやらぬ頃、ロンドン郊外エシャーの閑静な住宅地を散歩していた住民が、ブラフ家の窓に血みどろの枕が吊るされているのを見つけて仰天した。隣人共々中に入ると、寝室のベッドの上には喉を切り裂かれたメアリー・アンが横たわっていた。まだ息がある。命に別状はなさそうだ。恐る恐る子供部屋に向かうと、6人の子供が同様に喉を切り裂かれて絶命していた。
 一番上の子は外出していたために難を逃れた。
 当初は賊の仕業と思われていたが、室内を荒らされた形跡はまるでない。やがてメアリー・アンが罪を認めた。つまり、これは彼女による無理心中だったのである。自分だけ生き残ってしまったのだ。

 法廷で彼女は犯行の手順をこのように語った。
「最初にジョージアナの喉を切りました。私にはとても見ていられませんでした。それからキャリーハリーの喉を切りました。ハリーは私に云いました。『ママ、やめて』。私は云い返しました。『やらなければならないのよ』。そして喉を切りました。次にビルのところに行きました。ぐっすりと眠っていました。起きることはありませんでした。ハリエットジョージは起きていました。ジョージは激しく抵抗しました。ハリエットは暴れたために、喉をごぼごぼと鳴らしました。すべての子の息が絶えるのを見届けると、私は自分の喉を切りました」

 何人もの精神科医が弁護側証人として出廷し、メアリー・アンの精神異常を証言した。おかげで陪審員は無罪を評決したわけだが、心配なのは彼女の余生である。しかし、参考文献にはその記述はない。

(2009年1月23日/岸田裁月) 


参考資料

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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