トーマス・クラッターバック
Thomas Clatterbuck (アメリカ)


 1943年6月1日、或るセールスマンがペンシルヴァニア州リーズバーグ近郊のモリス・ラヴが経営する農場を訪ねた時のこと。1人の男が中から現れて、農場の門を締めている。
「あのお、こちらの御主人様でしょうか?」
 セールスマンが声をかけると、男は慌てて車に飛び乗り、脱兎の如く走り去る。おいおい、何なんだよ、あの男は…。まあいいや。仕事仕事。
「すいませえん。いらっしゃいますかあ?」
 返事がない。留守なのか? おや、ポーチの椅子に誰かが腰掛けているぞ。
「あのお、こちらの御主人さまでしょうか?」
 やはり返事がない。寝てるのかな? 近づいてみて腰を抜かした。しししし死んでる。58歳のモリス・ラヴは頭を叩き割られていた。あわわわ。これわたいへんら。セールスマンはよろけながらも隣家に助けを求めた。
「かくかくしかじか」
「ウッソだあ」
「いやいや、マジですマジ」
「ホントかい? ウソだったら承知しないよ」
 確かめに行った隣人もあわわわ。これわたいへんら。
「ね? マジでしょ?」
 どうでもいいけど、お前ら、早く通報しろよ。

 ようやく呼ばれた保安官一行は内部の惨状に眼を丸くした。食堂では妻のルビーと21歳の息子のジェイムスも血の海の中で倒れていたのだ。共に銃撃されている。ジェイムスは一撃では死ななかったようだ。頭を叩き割られた末に絶命している。モリスのそばには血まみれの木槌が転がっていた。
 これほどの惨状であるわけだから、銃声なり悲鳴なりを耳にした者がいる筈だ。保安官は裏手に住むウォルター・ラッセルの家を訪ねた。ところが、またしても返事がない。
「お留守ですかあ?」
 うろうろと辺りを探して回ると、コーン畑の端で誰かが倒れている。
 おいおい、ここもかよ!
 案の定、それは頭に穴が開いたラッセルだった。そばには彼のライフルが。遺体のポケットにはモリス・ラヴの財布が入っている。
 こいつが下手人か? 良心の呵責に耐えかねて自殺したってか?
 検視官のお見立ては否。銃創付近に火傷がないのだ。つまり、至近距離から撃たれたものではない。故に自殺ではありえない。その上、彼のライフルは凶器ではなかった。どこぞの不埒な輩がラッセルに罪をなすりつけようとしたことは明らかだ。

 やがて近隣の聞き込みにより、トーマス・クラッターバックが容疑者として浮上した。
「モリスさんは怒ってましたわ。あいつがちゃんとしないなら出るところに出るって。どうやらお金を巡るトラブルがあったみたいですわ」
「トーマスはモリスから金を借りてたみたいだね。いくらだかは知らんがね」
 尋問されたクラッターバックはラヴから2500ドルを借りたことを正直に認めた。
「だけど、ちょっと前に耳を揃えて返しましたよ」
 そりゃそう答えるだろうよ。
 2500ドルは当時としては大金である。殺人の動機としては申し分ない。ところが、保安官には腑に落ちない点があった。通報を受けた時、クラッターバックは保安官の事務所にいたのだ。その様子は至って平静で、今しがた人を4人も殺した男だとは思えなかった。

 しかし、続々と集まる証拠はいずれも彼の犯行を裏づけていた。
 まず、ラヴの農場のはずれで見つかった凶器のライフルは、クラッターバックのものに間違いなかった。「そのライフルは盗まれた」などとの釈明は到底信じられるものではない。
 また、決定的な証拠が保安官の事務所から見つかった。事務員が焼却炉の中から1枚の借用書を偶然拾い上げたのだ。それはクラッターバックがモリス・ラヴに宛てた借用書だった。
つまり、クラッターバックは4人を殺害した後、アリバイ作りのために大急ぎで保安官の事務所を訪れ、奪い取った借用書を焼却炉にねじ込んだのである。そうでなければ借用書がここにあることの説明がつかない。観念したクラッターバックはすべてを自供した。

 法廷では精神異常を主張したクラッターバックだったが、陪審員は有罪を評決、1943年12月10日に電気椅子で処刑された。
 しかし、いくら大金のためとはいえ4人もの命を無惨に奪うとは解せない話だ。何らかの精神疾患があったのではないだろうか。

(2008年7月12日/岸田裁月) 


参考文献

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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