ダグラス・ディーン
Douglas Dean (アメリカ)


 1971年7月18日、ウィスコンシン州シボイガンでの出来事である。実家を訪ねたコンスタンス・シュナイダーは奇妙なことに気づいた。もう午後だというのにカーテンが閉まったままなのだ。どうしたんだろうと中に入り、寝室を覗くや否や悲鳴を上げた。頭部がザクロになった遺体がベッドに横たわっていたのだ。母親のヒルデガード・ディーンだった。
 寝室の入口には22口径ライフルの薬莢が落ちていた。また、息子のダグラス(19)の部屋からは空になった弾丸の箱が発見された。彼の仕業であることは間違いない。直ちに付近一帯に非常線が張られた。

 近隣の家々を聞き込みして回った警察は更なる遺体に出くわした。ラマー家の住人が皆殺しにされていたのだ。夫人のナオミ・ラマーは玄関の血の海の中に倒れていた。三男のポールはおそらく就寝中に撃たれて、助けを求めて廊下まで這う途中で絶命。次男のトムは階段で横たわり、長男のジョンは繰り返し撃たれていた。致命傷は頭部への一撃だ。家中に散らばる薬莢はディーン家で発見されたものと同じである。

 間もなく教会前の階段に座るダグラス・ディーンが発見された。明らかに言動がおかしい。ラリっているようだ。体内からは案の定、LSDの成分が検出された。

 裁判においてダグラスはLSDの服用自体は否定したが、前日に食べたキャンディの中にLSDが入っていたのかも知れないと供述した。それは事実だった。彼の部屋から押収されたキャンディにはLSDが含まれていた。しかし、そうとは知らずに食べたとは思えない。よしんばそうだったとしても、そんなものが駄菓子屋で売っている筈がない。
 また、彼は犯行の記憶が全くないと主張したが、検察側の証人として出廷した精神学者曰く「LSDには記憶を喪失させる作用はございません」。
 ダグラスと拘置所生活を共にしていた囚人によれば、ラマー家を襲った動機について、彼は「子供の声が騒々しかったから」と語っていたという。LSDの摂取により知覚過敏となったが故に騒々しく感じられたのか、それとも本当に騒々しかったのかは定かではないが、そもそも子供とは騒々しいものだ。それだけの理由で殺されたのでは堪らない。

 結局、5件の終身刑を云い渡され、少なくとも58年の拘禁が確実になったダグラス・ディーンは、塀の中で心理学の学位を取り、同僚たちのカウンセリングに従事する毎日だと伝えられている。

(2009年1月20日/岸田裁月) 


参考文献

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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