デイジー・ド・メルカー
Daisy de Melker (南アフリカ)



デイジー・ド・メルカー

 1932年、元看護婦のデイジー・ド・メルカー(46)は、3人目の夫クラレンス・ド・メルカーと、息子のロードス・カウル(20)と共に、南アフリカのヨハネスブルグで暮らしていた。

 ロードスは9年前に死に別れた最初の夫との間に生まれた子だが、子育てに成功したとは云い難かった。気難しい性格がゆえに就職先が見つからず、働きもせずにブラブラしていた。
「もう成人したんだから、親父が残した地所の権利を俺にもよこせ!」
 このようにデイジーに詰め寄り、時には暴力を振るったりもしたが、彼女は決して首を縦には振らなかった。
 そんな煩わしい息子がポックリと逝った。デイジーが入れたコーヒーを飲んだ直後に具合が悪くなり、4日後にはあっさりと死んでしまったのだ。同年3月5日のことである。

 その死亡記事を眼にして警察に通報する者がいた。デイジーの2番目の夫の弟、アルバート・スプロートである。彼は兄が死んだ時からデイジーの仕業ではないかと疑っていたが、通報するまでには至らなかった。ところが、このたびロードスの死を知り、疑惑が確信に変わったのだ。
 とにかく、デイジーの家族には死人がいっぱいなのだ。

 ロードスは一人っ子ではなかった。実は最初の夫との間に生まれた5人目の子供だったのだ。その前の4人が4人とも幼い頃に死亡している。つまり、彼女の子供はロードスの死により全滅してしまったのだ。どう考えても普通じゃない。

 最初の夫ウィリアム・カウルの死もロードスのように唐突だった。急に具合が悪くなったかと思うと、数日後に死亡した。彼女はその死により地所を相続し、1700ポンドの保険金を受け取っている。

 そして、2番目の夫ロバート・スプロートに至っては、結婚生活は3年間にしか及んでいない。その死に様はやはり唐突で、彼女はその死により保険金を4000ポンドも受け取っている。

 アルバートの通報を受けた警察は、ロードスと2人の夫の遺体を掘り起こした。検視解剖の結果、ロードスからは砒素が、2人の夫からはストリキニーネが検出されて、デイジー・ド・メルカーは逮捕された。
 2人の夫については証拠不十分のために無罪となったものの、息子については有罪となった稀代の鬼嫁は、1932年12月30日に絞首刑に処された。しかし、彼女は最後の最後まで罪を認めようとはしなかった。

(2007年10月14日/岸田裁月) 


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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