スター・フェイスフル事件
The Mystery of Star Faithful (アメリカ)


 

 1931年6月8日早朝、ロングアイランドの南岸ロングビーチでゴミ箱を漁っていた浮浪者が、波打ち際で美しい女性の遺体を発見した。まるで『ツインピークス』のような幕開けである。浮浪者は遺体を引き上げ、警察に通報した。遺体の身元はすぐに割れた。グリニッジ・ヴィレッジで製薬会社を経営しているスタンリー・フェイスフルの継子、スター・フェイスフル(25)である。2日前から彼女の失踪届けが出されていたのだ。

 検視解剖の結果、死後48時間ほど経過していることが判明した。死因は溺死である。死ぬ前にかなりの量の食事を摂っている。アルコール分は検出されなかったが、代わりに睡眠薬が検出された。着衣はシルクのドレスだけで、何故か下着を身につけてない。膣からは精液が発見された。強姦されて、その後に口封じのために殺されたのだろうか? それとも、睡眠薬でへんてこりんになって溺れたのだろうか?

 社交界のお嬢さま変死事件は部数競争に鎬を削る新聞各紙の格好の題材だった。報道は過熱し、お嬢さまのスキャンダラスな過去が暴かれていった。
 まず、彼女の処女喪失は11歳で、しかも相手はご学友のお父上だったことが暴露された。このボストンの某実業家は、彼女にエーテルを嗅がせて犯したらしい。情報ソースは継父のスタンリーである。彼がスターの母親と結婚したのは10年前なので、その当時はまだ親子ではなかった。
 次に、スターの日記が暴かれた。何人もの男の名がそこには記されていた。中でも各紙が注目したのは「A.J.P.」のイニシャルで記述された男だった。前後の文脈から、この男が「ボストンの某実業家」である可能性が高かったからだ。
 やがて、記者たちはスターがボストンの元市長アンドリュー・J・ピーターズの娘と親しかったことを突き止めた。「A.J.P.」が彼であることは間違いない。継父のスタンリーも、フェイスフル夫人が娘を傷物にされた代償としてピーターズから多額の賠償金(おそらく8万ドル)を受け取ったことを認めている。

 話がだんだん殺人から逸れてしまったので戻すが、とにかくスター・フェイスフルという女性は、華やかに彩られた社交界の裏側に渦巻くどす黒い欲望の典型的な犠牲者だった。11歳で貞操を奪われ、母親が大金を受け取ることで妾となった。自棄になった彼女はことさらにふしだらとなり、男を転々と渡り歩いた。死の1年ほど前、ニューヨークのホテルで男に殴られて救急車で運ばれたことがある。どうやら酔った勢いで男を誘い、一緒にホテルに投宿したものの気が変わって性交を拒絶、話が違うと怒り狂った男にボコられたらしい。こんな生活をしてたらいつかは死ぬよ。彼女もそのことを無意識ながらも判っていた筈だ。
 日記から、彼女が生まれて初めて本気で恋をした男が判明している。ジョージ・ジェイムソン・カーという英国人の船医である。ニューヨークの波止場で催された船上パーティーで出会ったようだ。しかし、カーは彼女の愛には応じなかった。彼女の一方的な恋文が警察の手に渡り、スター・フェイスフルの死が自殺である可能性が浮上した。

「私が他人の生活を破滅させてしまわないうちに、価値のない自分の存在に終止符を打ちます。たっぷりと食事を摂って死ぬのです」

 彼女は生前、いつも体重を気にしていた。そんな彼女の遺体の胃袋は満タンだった。このことは自殺説を裏付けている。
 それでも謎は残る。誰が最後に彼女と性交したのだろうか?
 コリン・ウィルソンは遺体の発見者である浮浪者の可能性を示唆している。つまり、膣に残された精液は死姦の産物だったのだ。あながちあり得ない話ではない。


参考文献

『殺人の迷宮』コリン・ウィルソン著(青弓社)


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