エリザ・フェニング
Eliza Fenning
a.k.a. Elizabeth Fenning (イギリス)



エリザ・フェニング

 数年前、深夜の某お笑い番組で「不幸決定戦」みたいなことをやっていた。メッセンジャー黒田、麒麟田村、次長課長河本、2丁拳銃小堀といった面々がその不幸な生い立ちを競い合うのだ。結果は「公園に住んでいた」田村が「2度捨てられた」黒田を押さえて優勝したと記憶している。今日の贅沢な子供に聞かせてあげたい好企画だった。
 それはさておき、当館で「不幸決定戦」をやれば優勝候補は間違いなくエリザ・フェニングだろう。なにしろ彼女は1人も殺していないのに処刑されてしまったのだ。しかも、冤罪の疑いが濃厚だ。それだけではない。彼女が処刑されたのは己れの結婚予定日だったのだ。ここまで不幸だと笑ってしまうほかない。

 参考にした3つのテキストはいずれも彼女の動機から始まる。
「1815年のとある日、ロンドンの若い女中エリザ・フェニングは、下男の部屋に半裸で夜這いするところを主人のターナー夫人に見咎められた」
 しかし、これはあくまで検察側の主張であり、真実であるかは判らない。また、仮に真実であったとしても、このことはターナー夫人がフェニングを陥れる動機にもなり得ることを看過してはならない。
 とにかく、この出来事の数日後、フェニングが焼いたダンプリング(果実をパイ生地で包んで焼いたデザート)を食べたターナー夫妻が激しい嘔吐に襲われた。診察した医者は「砒素中毒」と診断した。

 かくしてエリザ・フェニングは殺人未遂の容疑で起訴されたわけだが、裁判において本当に砒素中毒だったのか証明されることはなかった。よって単なる食中毒だった可能性もあるのだ。『恐怖の都・ロンドン』の著者スティーブ・ジョーンズは、ダンプリングは焼き方が不十分だとイースト菌がしばしば残ることを指摘している。
 また、フェニング自身も同じダンプリングを食べている。毒入りと判っているものを敢えて食べるだろうか? この点、コリン・ウィルソンは「自分を巻き込んでも、イヤな主人を苦しめようと願った」などとその心理を分析しているが、果たしてそうだろうか? 私には無理があるように思える。
 にも拘わらず有罪が評決されたのは、おそらく「半裸で夜這い」の部分が効いたのだろう。つまり、彼女は「殺人未遂」ではなく「ふしだら」で裁かれたのだ。しどいはなしである。

 当時は殺人未遂でも縛り首にされた。これまたしどいはなしである。ほとんど魔女裁判だ。
 しかも、処刑日の1815年7月26日はエリザ・フェニングの結婚予定日だった。だから彼女は白いモスリンの花嫁衣装で処刑台に立ったというから泣けてくる。その姿を見守る多くの人々が彼女の無実を信じていたが、非情にもレバーは引かれて、ふしだらな花嫁はぶらんぶらんぶらんぶらん。

(2007年1月5日/岸田裁月) 


参考文献

『恐怖の都・ロンドン』スティーブ・ジョーンズ著(筑摩書房)
『犯罪コレクション(下)』コリン・ウィルソン著(青土社)
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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