ジェニー・ギブス
Janie Gibbs (アメリカ)


 ここはジョージア州コーディール。この小さな町で託児所を営むジェニー・ギブス(35)は、地域の貢献者として、また敬虔なクリスチャンとして知られていた。故に彼女の家族が短期間に続々と死んでも、疑う者は誰一人としていなかった。

 1966年1月21日 チャールズ・ギブス(40・夫)
 1966年8月29日 マーヴィン・ギブス(13・三男)
 1967年1月23日 メルヴィン・ギブス(16・次男)

 彼らはいずれも急な胃痛に襲われて、あれよあれよという間に急逝した。故人には生命保険が掛けられていたにも拘らず彼女が疑われなかったのは、保険金の1割を協会に寄付していたからだった。
 唯一の生き残りは長男のロジャーだ。19歳の彼は妻を娶ったばかり。そして、1967年8月には可愛い初孫が生まれた。ロニー・エドワードである。ところが、この孫も急に具合が悪くなり、生後6週間で逝ってしまう。まもなくロジャーも胃痛に襲われて、後を追うように急逝する。1967年12月24日のことである。
 これはただごとではないと訴え出たのは嫁だった。検視の結果、ロジャーの遺体から大量の砒素が検出されて、ようやくジェニーの犯行が露見したのである。他の故人からも同様に砒素が検出されている。

 では、犯行の動機はいったい何だったのか?
 彼女が手にした保険金は総額で3万ドル余りで、一家皆殺しの代償として釣り合う額ではない。金だけが動機とは思えない。
 この点、彼女はこのように弁明した。
「この世は邪悪に満ちています。愛する子供たちが生きて行くには余りにも過酷です」
 なあんだ。単なるキチガイか。
 ジョージア州立精神病院に送られた彼女は、10年後に完治したと看做されて法廷に立ち、そこで改めて終身刑を云い渡された。まだ生きている筈だが、子供たちにとってはあんたが一番邪悪なのだよ。このキリスト馬鹿のコンコンチキめ。

(2008年10月31日/岸田裁月) 


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)


BACK