トー・ヘディン
Tore Hedin (スウェーデン)



トー・ヘディン

 1951年11月27日、スウェーデン南部スコーネの都市マルメ近郊の水車小屋から火の手が上がり、焼け跡から製粉業を営むフォルケ・ニルソンの遺体が発見された。検視により、火災の前に既に死亡していたことが判明。手提げ金庫が壊されて、前日に農家から受け取った代金1500クローネが奪われている。強盗の仕業と見て間違いないだろう。現場に最初に駆けつけたのは地元の巡査、トー・ヘディンだった。彼は現場付近を見知らぬ男がうろついていたことを上司に報告していた。

 ヘディンは評判の良い真面目な巡査だった。その勤勉さを買われて、今では殺人と放火を専門に受け持っていた。将来を期待されていたわけだが、そんな彼が殺人者だといったい誰が思うだろうか?
 しかし、恋人のウラ・エストベリはヘディンの変化に気づいていた。勤務時間外でも勤勉に職責を果たす彼は、過度のストレスを抱えていたのだ。
 1952年8月20日、ウラは勤務先の介護施設に顔中包帯を巻いて出勤した。同僚が訳を訊ねると彼女は答えた。
「昨晩、彼氏に殴られたの」
 トー・ヘディンの中の何かが音を立てて崩れ始めた。

 2日後の8月22日、ヘディンの両親の家が全焼した。焼け跡から発見されたパー・ヘディンヒルダは、いずれも出火の前に斧で叩き殺されていた。
 間もなくウラが勤める介護施設からも火の手が上がった。4人の老人が焼け死に、婦長のアグネス・ランデンとウラも帰らぬ人となった。この2人もまた出火の前に斧で叩き殺されていた。
 下手人はヘディン巡査に間違いない。ところが、彼の行方は杳として知れなかった。

 数日後、ヘディンの車が現場から80kmほど離れた湖畔で発見された。中には遺書があった。22日の犯行はもちろん、フォルケ・ニルソンの殺害も認めていた。最後の署名にはこうある。
「トー・ヘディン 殺人者」
 湖を浚った警察は、2つの石を紐で括りつけたヘディンの遺体を発見した。勤勉な警察官にいったい何があったというのだろう。その答えを抱えたまま彼は身を投げたのである。

(2009年1月27日/岸田裁月) 


参考文献

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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