ウィリアム・ケムラー
William Kemmler (アメリカ)



ケムラーを処刑した電気椅子第1号

 愛人を斧で叩き殺したウィリアム・ケムラーは、電気椅子に初めて座る栄誉を授かった。ところが、この文明の利器がまだ開発段階だったためにトンデモない目に遭うことになる。

 ウィリアム・ケムラーが悲惨な死を迎えた背景には、トーマス・エジソンとジョージ・ウェスティングハウスの熾烈な商売争いがあった。
 トーマス・エジソンは云わずと知れた発明王である。ガキの頃に親から伝記を買い与えられた記憶があるが、彼が子供向けの伝記に描かれているような好人物ではなかったことは今日では多くの者が知っている。特に直流と交流を巡るニコラ・テスラとの対立は有名だ。直流を好んだエジソンは、交流の優位性を主張する部下のテスラを蔑ろにし、退社に追い込んだのだ。
 このテスラの研究に投資したのが、エアーブレーキの発明者にして「ウェスティングハウス・エレクトリック」社長のジョージ・ウェスティングハウスである。やがてテスラが交流発電機を完成させると、これをナイヤガラの滝に配備して、直流のエジソンに対抗する交流の電気ビジネスを開始した。

 大衆の評価を得たのは交流の方だった。テスラの主張が正しかったのだ。この見込み違いは大きい。なにしろ合衆国全土の電気ビジネス全般がかかっているのだ。エジソンの直流は徐々に顧客を失い、彼の下の技術者や営業担当者はウェスティングハウスに鞍替えし始めた。
 株主に突き上げられたエジソンは、大々的なネガティブ・キャンペーンを実施した。各地でイベントを催し、観客の眼の前で犬や猫を感電死させて交流の危険性をアピールしたのだ。そして、このキャンペーンの延長線上で開発されたのが、他ならぬ電気椅子だったのである。

 イベントを取り仕切っていたのはエジソンの右腕、ハロルド・ブラウンだった。彼は平然と犬や猫、時には象を感電死させて、
「交流は収容所の犬や屠殺場の家畜を殺すことのみに適しています」
 と断言した後、ニヤリと笑ってアメリカン・ジョークをかました。
「そして、死刑囚の死刑にもね」
 この最後の一言がニューヨーク州の議員たちの耳にとまった。ニューヨークでは絞首刑よりも人道的な処刑方法を思案する委員会が設置されたばかりだったのだ。感電死が即死を齎すんならば行けるんじゃないの? 委員会は早速、エジソンに話を持ちかけた。

 エジソンは死刑反対論者だったが、切羽詰まった今はそれどころじゃない。何が何でもウェスティングハウスに勝たなければならないのだ。信念を曲げて協力を約束したエジソンは、タイから6頭のオランウータンを輸入すると、議員たちの前で実験して見せた。いずれも瞬時で死亡した。絞首刑のように失敗して生き延びてしまうことはなかった。
 この実験を受けて1889年6月4日、ニューヨーク州で電気による処刑が合法化された。お次は処刑用具の製作である。その研究開発は先のハロルド・ブラウンが担当した。動物実験を繰り返した彼は、1000ボルトの電流を15秒間流すのがベストとの結論を得た。



電気椅子第1号は大失敗

 かくして発明王ブランドの電気椅子第1号が完成した。ブラウンはその電源たる発電機を、皮肉を込めてウェスティングハウス社から買おうとしたが、当然ながら断られた。ま、判ってたけどね。中古の交流発電機を手に入れたブラウンは、第1号機をオーバーン刑務所に設置した。
 栄えある最初の受刑者はウィリアム・ケムラーに決定した。しかし、よく考えれば酷い話だ。ブラウンは犬や猫ではしこたま実験しているが、人間はこれが初めてなのだ。つまり、ケムラーの処刑は一種の人体実験なのである。
 商売仇のウェスティングハウスも黙ってはいない。ケムラーために弁護士を雇って、電気処刑は非人道的な処刑ゆえに違憲であると最高裁に訴えさせた。しかし、自ら出廷して熱弁を振うエジソンの前には色がなかった。なにしろ判事は電気に関してはシロウトである。「発明王が云ってるんだから、そうなんだろう」ということで、この訴えは却下された。

 1890年8月6日、ウェスティングハウスの抵抗も虚しく、史上初の電気椅子による処刑が執行された。70人ほどの観衆が見守る中で、1000ボルトの電流が17秒間流された。ケムラーは激しく痙攣した。椅子が倒れそうになるほどだった。第1号機はまだ床に固定されていなかったのだ。
 電流が切られると、医師が脈を確認した。
「ウソ!? まだ生きてるよ!」
 観衆がどよめいた。なんだよ、はなしが違うじゃないか!
 このままではエジソンの面目が丸つぶれだ。2度目は電圧を2000ボルトに上げて、70秒間も流し続けた。次第に肉の焦げる臭いが立ち篭め、遂には頭から煙が立ち上り、電流を止めると炎が上がった。感電死どころではない。ケムラーは黒焦げになって死んだのだ。

 世論は賛否両論だった。或る者は科学の進歩を讃え、また或る者はその非人道性に憤った。エジソンは技術面の改善を厳命されたが、肉が焦げなくなるまでには更に10年の歳月を要したという。
 こういう話は子供向けの伝記には載っていない。しかし、こういう話こそ載せるべきだと私は思う。死について真剣に考える子に育つ筈だ。

(2006年12月29日/岸田裁月) 


参考文献

『死刑全書』マルタン・モネスティエ著(原書房)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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