クリスタ・レーマン
Christa Lehmann (西ドイツ)


 

 多くの女性殺人者がそうであるように、クリスタの生い立ちも悲惨である。十代の頃に母親が発狂、父親もアル中だった。
 1944年にカール・レーマンと結婚したが、好転することはなかった。彼も父親同様の飲んだくれのアル中だったのだ。だから1952年に血を吐いて死んだ時は誰も同情しなかった。翌年には義母義父が相次いで後を追い、晴れて自由の身になったクリスタは若いツバメをこさえて第二の青春を謳歌していた。

 彼女が次の犯行に手を染めなければ、一家みな殺しが露見することはなかっただろう。
 1954年2月12日、クリスタの親友アンニ・ハーマンが実家の冷蔵庫にあったチョコレートを一口食べた直後に痙攣を起こし、瞬くうちに逝ってしまう。床に落ちたチョコを食べた飼い犬もひっくり返って足をジタバタ。帰宅した母エヴァ・ハーマンがその光景に仰天し、通報した次第である。
 誰が見ても明らかに毒殺だが、何の毒だか判らない。検査官はあらゆる毒の可能性を調べ上げ、苦心惨憺した結果、ようやく「E605」という殺虫剤用に開発された新種のリン化合物(パラチオン)であることを突き止めた。そして、そのチョコレートの送り主であるクリスタが逮捕されたのである。

 当初は犯行を否定していたクリスタだったが、やがて4人の殺害を自供。解せないのはどうして親友のアンニを殺したかだが、
「アンニが狙いではありませんでした。私は彼女の母親に送ったのです」
 母親のエヴァは娘がクリスタとつきあうことを嫌っていたために標的となったのだ。ところが、実家に顔を出した娘に先に食べられてしまったのである。そして、犬にも。

 かくしてクリスタは4件の殺人で有罪となり、終身刑に処された。刑務所に連行される際、彼女は待ち構えていた記者たちにこのように語った。
「殺すべきではなかったと思います。でも、アンニを除けば、みんなロクでもない人たちでした。それに、私、お葬式が好きなんです」

 なお、本件により新種の毒物「E605」は有名になり、西ドイツでは20件以上の殺人と77件もの自殺に悪用されたという。毒物にも流行というものがあるのだ。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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