ウィリアム・マクドナルド
１９６１年６月４日、シドニーの公衆浴場で男の遺体が見つかったのだが、なんとも猟奇的なのだ。全裸で、３０ケ所も刺し傷があり、その上、陰茎と睾丸が切り取られていたのである。首も切り落とそうとした形跡がある。犠牲者のアルフレッド・グリーンフィールドは公園に寝泊まりする浮浪者だった。
５ケ月後の１１月２０日、今度はシドニー郊外ムーア・パークの公衆便所で同様の遺体が見つかった。めった刺しの上、陰茎と睾丸を切り取られている。犠牲者のウィリアム・コビンはやはり浮浪者だった。
「浮浪者を狙った切り裂き魔が横行している！」
シドニー中が震え上がった。マスコミはまだ見ぬ犯人を「ザ・ミューティレイター」と命名した。
４ケ月後の１９６２年３月３１日にまたしても彼奴は出没した。場所はムーア・パークにほど近いダーリンハーストの路地裏で、浮浪者のフランク・マクリーンは陰茎と睾丸を切り取られていた。気の毒なことに、発見された時はまだ息があった。だが、失血が酷くて話すことが出来ない。そして、まもなく事切れた。警察は手掛かりを掴み損ねてしまった。
捜査が進展しないまま月日が流れた。切り裂き魔も鳴りを潜めたかに思われたが、８ケ月後の１１月１９日に事件は新たな局面を迎える。シドニーの保険衛生局に「悪臭が漂う家がある」との苦情が寄せられたのである。それはバーウッド街７１番地にある休業中の店舗だった。踏み込んだ警察は案の定というべきか、腐乱死体を発見。性器は切断されてはいないものの、体中めった刺しだ。これも彼奴の仕業なのだろうか？
ところで、この遺体は誰なのだろう？ この店舗の所有者が「アラン・ブレナン」だったことから、遺体もブラナンだろうということで処理された。葬儀も執り行われ、友人知人が参列した。
ところが、実は「アラン・ブレナン」とは、犯人たるウィリアム・マクドナルドの偽名だったのである。犠牲者の本当の身元はパトリック・ハケット。出所したばかりの浮浪者だが、そのことが判るのは後のことである。
翌１９６３年４月２２日、郵便局員のジョン・マッカーシーは我が眼を疑った。死んだ筈の元同僚「アラン・ブレナン」が街を歩いているではないか！ 恐る恐る近づいて、声をかけてみると、
「やあ、ジョンじゃないか」
やっぱり「アラン・ブレナン」だ！
マッカーシーは死んだ筈の男をパブへと誘った。
「お前、死んだことになってるぜ」
「俺が死んだって？ 馬鹿云うなよ」
ニュージーランドに逃げていた「ブレナン」は、店舗から死体が発見されたことをまだ知らなかったのだ。
「本当だよ。俺も葬儀に出席したんだ」
「おいおい、冗談はよせよ」
「お前が生きてるんなら、あの死体はいったい誰なんだ？」
ここで初めて気がついた。やべえ。見つかっちゃった！ 慌てた彼はその場から逃げ去る。狐につままれた思いのマッカーシーは、そのまま警察署に駆け込んで「かくかくしかじか」と報告すれども、酔っぱらいの戯言として相手にしてくれない。あったま来た！ 今度は新聞社に駆け込んで「かくかくしかじか」と報告したらば「そいつは面白い！」と翌日にも一面を飾った。
「歩く屍事件（Case of the walking corpse）」
この記事を機に警察は検視をやり直すハメとなり、かくして腐乱死体は「アラン・ブレナン」に非ず、パトリック・ハケットであることが判明。「ブレナン」は一転して最有力容疑者として全国指名手配されるに至ったのである。
