サラ・マルコム
Sarah Malcolm (イギリス)



サラ・マルコム

 左は処刑の2日前に描かれたサラ・マルコムの肖像画である。美しき殺人者の評判を聞きつけたウィリアム・ホガースという画家がわざわざニューゲイト刑務所まで出向いたのだ。彼はその時の印象をこのように述べている。
「彼女は確かに美しかった。しかし、悪に対する自覚がないという点で悪魔的だった」

 1711年にダラムで生まれたサラ・マルコムは、父がこさえた借金のために若いうちから働きに出なければならなかった。当初は勤勉な娘だったが、ロンドンのパブで働き始めたのを機に酒を覚え、男を覚え、次第にスレていったという。
 やがてパブを辞めたサラは高級アパートの洗濯女の職に就く。それが獲物を物色するためだったのか、純粋に給金がよかったからかは知るよしもないが、とにかく1733年2月3日に犯行に及んだ。仲間と共に高齢の未亡人リディア・ダンコムの部屋に忍び込み、介護人のエリザベス・ハリソンと、まだ17歳の小間使い、アン・プライスを含む3人を殺害、金品を奪ったのである。アン・プライスは喉を切り裂かれ、残りの2人は首を絞められていた。

 翌日にもサラ・マルコムは逮捕された。トーシローの彼女は盗んだ金を無造作に髪の毛の中に隠していたのだ。その出所を訊かれても悪びれもせずケロリとしている。取り返しのつかないことを仕出かしてしまったことの自覚がまるでなかった。
 まだ22歳の美貌の毒婦はロンドン中の評判になった。1733年3月7日に処刑されると、その死に顔見たさに野次馬が葬儀屋に殺到。中には金を払って遺体にキスする紳士もいたというが、こうなるともう変態ですな。

(2007年1月4日/岸田裁月) 


参考文献

『恐怖の都・ロンドン』スティーブ・ジョーンズ著(筑摩書房)


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