ジョン・オーウェン
John Owen
a.k.a. John Jones (イギリス)



一家の記念碑が建てられたデナムの教会

 1870年5月22日、ロンドン近郊のデナムでの出来事である。その日は日曜日で、鍛冶屋のマーシャル一家が教会に姿を見せないことを隣人たちは不審に思っていた。安否を確かめる意味も含めて、近所の子供がマーシャル家におつかいに出された。ノックをすれども返事がない。どうしちゃったんだろうと窓から覗くと、炉の中で灰を被った子供が倒れている。うわああああと慌てて自宅に逃げ帰り、今見た旨を報告した次第である。

 村の巡査が玄関を蹴破って侵入すると、そこにはマーシャル夫人が倒れていた。台所の炉の中には2人の子供が、居間でも2人の子供祖母に抱かれた状態で事切れている。いずれも頭を鈍器で打ちのめされていた。
 当初は家長たるエマニエル・マーシャルの狼藉かと思われたが、彼の遺体も仕事場で見つかった。〆て7人である。えらく盛大に殺りやがったなあと呆れる巡査には思い当たる節があった。昨夜、デナムに向かう身なりの見窄らしい男を尋問していたのだ。特に不審な点はなかったために解放したが、今思えばあやつが賊であったか。後悔しきりの巡査である。

 巡査の報告により、間もなく容疑者が村のはずれで抵抗の末に逮捕された。ジョン・ジョーンズと名乗るその男の本名はジョン・オーウェン。刑務所から出たばかりの浮浪者だ。彼が身につけていた服と靴、そして拳銃はマーシャル家から盗んだものだった。
 供述によれば、彼は服役前にマーシャルの鍛冶屋に雇われていた。しかし、仕事が雑なためにすぐにクビになり、給金も貰えなかった。そのために仕返ししてやったのだとオーウェルは嘯いた。だが、それにしても子供まで殺すことないじゃないか。

 かくして死刑を云い渡されたジョン・オーウェルは、公開処刑の場でこんなことを宣って、観衆を唖然とさせたと伝えられている。
「お集りの皆様方よ。俺はこうして処刑されるわけだが、ええと、誰だっけ? ほら、なんとかいう家族を殺したと云われているが、皆様方よ。俺は無実なんだ」
 てめえが皆殺しにした家族の名前ぐらいは憶えてろよ。

(2009年1月26日/岸田裁月) 


参考文献

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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