ルイーズ・ピート
Louise Peete (アメリカ)



ルイーズ・ピート

 今ではこんなおばちゃんだが、ルイーズ・ピート、旧姓プレスラーは、若い頃はなかなかの美人だったという。だからこそ高級娼婦をしていたのだ。手癖が悪く、彼女に関わる男はみな不幸になった。典型的な毒婦と云えよう。

 1880年、ルイジアナの比較的裕福な家庭に生まれたルイーズは、若い頃からあまり素行がよろしくなかった。23歳の時にヘンリー・ボスレイという男と結婚するが、2年と続かなかった。原因は彼女の浮気である。
 ちなみに、彼女に捨てられたボスレイは自殺している。

 やがて高級娼婦に転じたルイーズは、1913年にテキサスでホテル従業員のハリー・ファウロートと結婚するが、その直後にダイヤモンド盗難事件に巻き込まれる。というか、彼女が盗んだんだけどね。夫が働くホテルに滞在していた石油王ジョー・アペルのコレクションをくすねたのだ。もちろん、彼女も疑われたが、このたびはどうにか逃げ切った。
 ちなみに、利用されたと悟ったファウロートは後に自殺している。

 1915年、ルイーズはデンバーの自動車ディーラー、リチャード・ピートと結婚する。娘のベティにも恵まれ、ようやく彼女も落ち着いたかに思われた。しかし、平穏な日々は5年と続かなかった。旦那の事業が左前になってきたのである。すると、何を思ったのか、彼女はロサンゼルスに移り住み、そこでチャールズ・デントンという年寄りの大金持ちと暮らし始める。
 やがてデントンの姿が見えなくなった。心配した娘や友人たちがルイーズを問いつめると、彼女は口から出まかせで、このように答えた。

「彼は感染症を患って、片足を切断しなければならなくなりました。そのことで非常に落ち込んでいて、しばらくは誰にも会いたくないと云っています」

 突飛なはなしに面食らった一同だったが、とりあえずは納得して引き下がった。ところが、数ヶ月経てども何の音沙汰もない。どういうことだと捜索すると、デントンは自宅の地下室に埋められていた。足は両方揃っていたが、その代わりに、首の後ろを銃で撃たれていた。

 その頃、ルイーズは夫のいるデンバーに戻っていた。つまり、ロサンゼルス行きは彼女流の「出稼ぎ」で、かつてのように夫を捨てたわけではなかったのだ。しかし、その犯行はあまりにも杜撰だった。彼女がデントンの小切手を偽造し、宝石類を換金していたことはすぐに露見。逮捕された彼女は終身刑を云い渡された。1921年のことである。
 ちなみに、責任を感じた夫のピートは、数年後に自殺している。彼女と結婚する男は自殺する運命にあるとしか思えない。

 話がここで終わっていれば、彼女は後世にその名を残すことはなかっただろう。この女の凄みは、終身刑を喰らっても、まったく懲りてなかったということだ。
 1939年に仮出獄したルイーズは、アンナ・リーと名前を変えて、女中として働き始めた。
 なお、この女中奉公時代に彼女が仕えた未亡人、ジェシー・マーシーエミリー・ラサムの2人が死亡している。当時は共に自然死として扱われたが、今となっては怪しいものだ。

 さて、ルイーズがエミリー・ラサムの次に仕えたのがマーガレット・ローガンだった。夫のアーサーが認知症で、その介護を頼まれたのだ。
 やがてルイーズはリー・ジャッドソンという男やもめと再婚する。
 こいつも自殺するのかな?
 ほどなくマーガレットの姿が見えなくなる。アーサーも老衰で死亡する。するとルイーズは手形を偽造。すぐに露見してお縄となる。マーガレットは首の後ろを銃で撃たれて、庭に埋められていた。18年前の手口とまったく一緒である。
 ちなみに、夫になりたてのジャッドソンは、警察に呼ばれた翌日に自殺している。
 ああ、やっぱりね。

 かくして結婚した4人の男すべてが自殺という稀代のさげまん、ルイーズ・ジャッドソン(当時)は1947年4月11日、サンクエンティンのガス室で処刑された。

(2007年11月2日/岸田裁月) 


参考文献

『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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