ジョージ・パット
George Putt (アメリカ)


 ジョージ・パットは生後3ケ月の頃から両親に虐待されて育った。殴る蹴るは当たり前で、時には鞭打つことさえあったという。そんな両親がムショにぶち込まれたのは8歳の時だ。祖父母に引き取られるも、すぐに孤児院に入れられてしまう。そこで彼はまた虐待された。おかげでその心はすっかり荒んでしまった。

 最初に逮捕されたのは15歳の時だ。少女にフェラチオを強要したのだ。裁判を待つ間に脱走。途中で強姦事件を起しながらテキサスに逃げ延び、主婦をナイフで脅して車を運転させているところを見咎められて、カー・チェイスの挙げ句に壁に激突。その翌日にようやく逮捕された。

 かつての不憫な少年は、手に負えないワルに成長していた。矯正施設に放り込まれ、数多のプログラムを履修したが、その荒んだ性根を矯正することは出来なかった。19歳の時には、心理学者からこのような評価を下された。
「信じられないほど感情が欠落している」
 長年に渡る虐待が、彼の感情を奪ってしまったのだ。
 それでも21歳になった彼は自動的に釈放されてしまう。1967年のことである。その後の彼はケチな盗みを繰り返しながら、各地を転々と放浪していた。

 1969年に結婚したパットはテネシー州メンフィスに落ち着く。一連の殺人に手を染めたのはその直後のことである。
 1969年8月14日、ロイ・デュマと妻のバーナリンが自宅のアパートで殺害された。死因はいずれも絞殺である。バーナリンは手足をベッドの支柱に縛られて、強姦された上に、性器をナイフで滅多切りにされていた。惨たらしい限りである。パットが後に語ったところによれば、当初は強盗目的だったのだが、途中でサディスティックな衝動に駆られて犯行に及んだらしい。

 11日後の8月25日、80歳の未亡人リーラ・ジャクソンが彼女のアパートで殺害された。ストッキングで首を絞められた上、強姦されて、性器を切り刻まれていた。

 3日後の8月28日には21歳のグレンダ・ハーデンが襲われた。場所は公園。縛り上げられ、14ケ所も刺されていた。犯行が次第に頻繁に、且つ大胆になっている。パットは殺人の魔力に取り憑かれたようだ。

 これではいけないと思ったのか、彼は2週間ほど鳴りを潜める。しかし、誘惑には勝てなかった。9月10日の夜遅く、身重の妻はパットの悲鳴で眼を覚ます。寝言だった。彼が更なる殺人を犯したのはその翌日のことである。そして、それが最後となった。59歳の未亡人メアリー・ピケンズを殺めた彼は、逃走中に見咎められて、遂にお縄となったのである。捕縛された彼は返り血を浴びて血みどろだった。ピケンズ夫人は実に19ケ所も刺されていた。

 裁判では精神異常を主張したものの、責任能力には問題なしと判断されて有罪となり、この哀れな男は死刑を宣告された。しかし、最高裁での上告審で、当時の風潮に従って懲役刑に変更された。合計497年という途方もない歳月が悪行の代償として云い渡されたのである。

(2008年12月16日/岸田裁月) 


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『SERIAL KILLERS』JOYCE ROBINS & PETER ARNOLD(CHANCELLOR PRESS)


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