ホレース・レイナー
Horace Rayner (イギリス)



ホレース・レイナー


ウィリアム・ホワイトリー

 1907年1月24日、ロンドン初の百貨店『ホワイトリーズ』の創設者にして大富豪、ウィリアム・ホワイトリー(75)のオフィスに1人の若者が訪れた。本件の主人公、ホレース・レイナー(27)である。やがて2人は云い争い始めた。従業員たちが聞き耳を立てると、若者が声を荒らげて、

「それがあなたの答えですね?」
「その通りだ」
「ならば死んでいただきます」
(Then you are a dead man.)

 そして、2発の銃声が鳴り響いた。至近距離から頭を撃たれたホワイトリーは即死だった。続けて若者は銃口を己れに向けたが、飛び込んできた従業員たちに取り押さえられた。警察に引き渡された若者の手帳には、このようなメッセージが書き込まれていた。

「この事件に関心を持つすべての人々へ。
 ウィリアム・ホワイトリーは私の父親である」

 ホレースの弁護人は、事件当時の被告は激昂のあまりに心神喪失状態にあったとして無罪を主張したが、審理は専ら犯行の動機に集中した。つまり、ホワイトリーは本当に被告人の父親なのか否かが大きな争点となったのである。当時はDNA鑑定などないので、関係者の証言による他なかった。

 まず、被告人の戸籍上の父親であるジョージ・レイナーが証言台に立った。

「私は被告人の本当の父親ではありません。母親のエミリー・ターナーがそのように届け出てしまったのです。
 エミリーはもう死んでしまいましたが、彼女とはちょっとした知り合いでした。そして、彼女が私生児を産むと、私に父親になって欲しいと頼んできたのです。私は養父としてならばとの条件付きで同意しました。ところが、彼女は実父として出生届を出してしまったのです。
 ホレースの実父が誰なのかは私は知りません。それはエミリーにしか判らないでしょう」

 続いて証言台に立ったエミリーの妹、ルイーザ・ターナーの証言は予想を上回る衝撃的なものだった。

「ホーレスを産んだのは姉ではありません。この私です。
 私と姉のエミリーは長年に渡ってホワイトリーの愛人でした。やがてジョージ・レイナーも仲間に加わり、よく4人で週末をブライトンで過ごしていました。姉がレイナーの、私がホワイトリーの相手をするうちに2人は揃って妊娠しました。それで私が産んだのがホレースなのです。だから、彼の父親がホワイトリーであることは間違いありません」

 う〜ん。なんか胡散臭いが、この姉妹がホワイトリーの愛人だったことは間違いないようだ。そして、1881年に奥方が浮気を嗅ぎつけて離婚訴訟を起こしたことでその関係に終止符が打たれた。その後、ホワイトリーからはまったく援助がなく、そのことにホーレスが憤っていたことが犯行の動機だったのだ。

 ホーレス・レイナーは死刑を宣告されたが、世間の同情が集まり、判決後1週間足らずで20万人もの人々が助命嘆願書に署名した。従業員に過度のモラルを要求していたホワイトリーへの反感もあったのだろう。情状を酌んだ内務大臣はホーレスを終身刑に減刑した。そして、2度の自殺未遂を経て、12年後の1919年に釈放された。その後は行方知れずである。

(2007年1月18日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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