シスターズ・イン・ブラック
The Sisters in Black
Mary, Caroline & Virginia Wardlaw (アメリカ)



シスターズ・イン・ブラック


オーシー・スニード(旧姓マーティン)

 その昔、「シスターズ・イン・ブラック」と呼ばれる三姉妹がいた。いつも黒衣を身に纏っていた彼女たちには、我が子や夫を保険金目当てで殺害していた疑惑がある。その真相は定かではないが、かなり異常な家庭であったことは確かだ。

 メアリーキャロラインヴァージニアウォードロー姉妹は、1849年から52年にかけてジョージア州で生まれた。父親のジョンはメソジスト派の牧師で、母親のマーサが相続したヴァージニア州のモンゴメリー女子大学の経営は三姉妹に委ねられた。
 最も利発だったのが末のヴァージニアだ。ナッシュビルの女学校で教鞭を振るい、1902年にモンゴメリー女子大学の学長に就任した。未婚だった。
 一方、長女のメアリーはスニードという男と結婚し、3人の息子をもうけたが離婚。次女のキャロラインはマーティンという陸軍大佐と結婚、オーシーという美しい娘をもうけた。

 まず最初に悲劇に見舞われたのはメアリーの息子ジョンだった。1900年の或る日のこと、彼はモンゴメリー女子大学の女学生と駆け落ちをした。しかし、三姉妹に見つかって連れ戻されてしまう。2日後、ジョンはベッドの上で大火傷を負った状態で発見された。灯油を撒いて火を放ったらしい。ほどなく死亡。遺書が残されていたので自殺と認定された。母親のメアリーは1万2千ドルの保険金を受け取っている。

 事件は地元のゴシップとなったため、三姉妹は別々に暮らすことにした。
 キャロラインは娘を連れてニューヨークに移り、別居していた夫のマーティン大佐と暮らし始めた。まもなく家主がうめき声を耳にする。何事ぞと駆け込むと、マーティン大佐が床で悶え苦しんでいた。かたや娘のオーシーは、ボロの服を纏った貧相な姿でその様子を見守っていたという。やがて大佐は死亡。キャロラインは1万ドルの保険金を受け取っている。

 ゴシップの熱りが冷めた頃、三姉妹は再び合流した。オーシーはメアリーの息子フレッチャー・スニードに嫁いだ。いとこ同士の近親婚だ。遺伝的にヤバいと思うのだが、この一族は既に相当ヤバいのでOKなのだろう。
 結婚して早々、オーシーは一度死にかけている。食事を満足に与えられていなかったようだ。呼ばれた医師は家の不潔さと家具の貧弱さに驚愕した。三姉妹は極度の吝嗇家だったのだ。
「このままではこの娘は死んでしまう。私は当局に知らせなければならない」
 これに怯えた三姉妹は食事を与え、オーシーはどうにか生き延びるが、それも長くは続かなかった。1909年11月19日、オーシーは浴槽で溺死しているところを発見された。彼女には3万2千ドルもの保険金がかけられていたことから、遂に警察が動き、三姉妹は逮捕された。

 末のヴァージニアは拘留中に一切の食事を拒否して餓死した。
 オーシーの母親のキャロラインは7年の禁固刑に処されて、1912年6月21日に癲狂院で狂死。かたやメアリーは無罪放免となっている。

 なにぶんにも手元の資料が少ないので、彼女たちがハナから保険金詐取を企んで肉親を殺していたのか、その実際のところは判らない。しかし、異常なまでに禁欲的だったことは窺える。常に黒衣だったことがその証しである。宗教的な禁欲が齎した災いのように思えてならない。

(2007年2月19日/岸田裁月) 


参考文献

『犯罪コレクション(下)』コリン・ウィルソン著(青土社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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