イーディス・トンプソン
フレデリック・バイウォーターズ

Edith Thompson
Frederick Bywaters (イギリス)



左からフレディ、イーディス、パーシー

 私がこの事件に魅せられたのは、左の写真を見た時からである。両脇の男は無関心を装っているが、その内心は気が気でない。一方、挟まれた女はというと、なにやらをじっと凝視している。良からぬことを考えているようにも見える。これから起こる惨劇を予感させる1枚である。

 それは1922年10月3日の真夜中のことである。ウエストエンドでの観劇を終えてイルフォードの自宅へと向うトンプソン夫妻を一人の若者が制止した。目撃者の証言によれば、そのやりとりは以下の通り。
「あんたはどうして別れないんだ!」
 若者が叫んだ。これに夫が応える。
「こいつは俺のものだ! 別れるものか! お前なんか撃ち殺してやる!」
 2人は揉み合いになる。すると妻が、
「やめて! 後生だからやめてちょうだい!」
「♪けんかはやめて〜」というフレーズが頭の中で鳴り響くや否や、夫が血を吐いて路上に倒れ、若者は闇の中へと消える。取り乱した妻が叫ぶ。
「誰か助けて下さい! 夫が病気なんです! 血を吐いているんです!」
 医者が駆けつけた時にはパーシー・トンプソンは事切れていた。信じがたいことだが、この医者はナイフの刺し傷を見落として、死因は「喀血による出血多量」と警察に報告した。妻のイーディスもこのように証言。
「歩いていたら、夫が突然に血を吐いて倒れたんです」
 この時に正直に話していたならば、彼女が疑われることはなかっただろう。

 検視により、妻の証言がデタラメであることが明らかになった。ついでに、さっきの医者もヤブであることが明らかになったが、そんなことはどうでもよろしい。問題は彼女だ。どうして彼女は嘘をついたのか?
 その身辺を洗うと、フレデリック・バイウォーターズという船乗りの名前が浮上した。その風体は目撃証言にどんぴしゃり。直ちに容疑者として連行すると、その姿を署で見かけたイーディスが嘆いた。
「あの人、どうしてあんなことしたの? 頼んだわけでもないのに…」
(Oh, God. Why did he do it ? I don't want him to do it.)



ワイト島にて、イーディスとフレディ

 イーディス・トンプソン、旧姓グレイドンは不思議な魅力を湛えた女性である。手元には彼女の写真がいくつもあるが、いずれも印象が異なる。ある時は快活、ある時は沈着、またある時は奔放で、まるでカメレオンのようだ。官能的に見えたかと思えば、所帯染みていたりする。そんな正体が知れない彼女は1893年12月25日のクリスマスにロンドン東部ダルストンの裕福な家庭に生まれた。5人兄弟の長女である。成績は極めて優秀で、取り分けて数学が得意だった。卒業後は織物商社の簿記係の職に就く。聡明な彼女は瞬くうちに昇格し、チーフ・バイヤーとしてパリに頻繁に出張するようになっていた。そんな折に彼女が結婚したのが、殺されたパーシー・トンプソンである。

 事件を振り返ると、女の方が先に出世してしまったことが生んだ悲劇のように思えてならない。6年前に2人が出会った頃は共にヒラだった。ところが、結婚時の1916年1月には妻は主任、夫はヒラのままだった。勤務先が違うとはいえ、この差は大きい、なにしろ収入も妻の方が多かったのだから。やがてイーディスはパーシーに物足りなさを感じ始め、夫婦仲は冷めていく。

 さて、ここでフレデリック・バイウォーターズが登場する。実は、彼はイーディスとは旧知の仲だった。8つ年下の弟の同級生だったのだ。1921年6月、ワイト島でのバカンスで久しぶりに再会したフレディ坊やは、今ではすっかり男前。職業も船乗りとロマンチックだ。
「次の航海までウチにいらっしゃいよ。ねえ、あなた。いいでしょ?」
 パーシーは渋々ながらもこれを受け入れ、それで先ほどのスリー・ショットが実現したわけである。撮影者はイーディスの妹エイビス。1921年7月の昼下がりのことである。



左からフレディ、パーシー、イーディス

 このトライアングルに亀裂が生じたのは翌8月のことだった。亭主の前であからさまに若僧とじゃれつくイーディスにパーシーがキレたのだ。
 どんがらがしゃあん。
 家の中から物凄い音がした。庭にいたフレディが駆けつけると、イーディスが床に倒れていた。パーシーに投げ飛ばされたようだ。2人は口汚く罵り合っていた。まあまあと仲裁に入るフレディだったが、原因は己れじゃあと凄まれてスゴスゴと自室に退散。しばらくして、眼を真っ赤に腫らせたイーディスが彼の部屋に入ってきた。この時、2人は初めてくちづけを交わす。フレディは間もなく家を出て母親のもとに身を寄せるが、イーディスとは密会を重ねた。ある時は公園で。またある時は喫茶店で。そして9月9日、2人は初めて結ばれる。場所は路地裏の安ホテルだった。

 やがてフレディは航海に出るが、その間も2人は情熱的な手紙を交わした。手紙の中でイーディスはフレディのことを「darlint(darilingest=最愛の人の略)」と呼び、このように書き綴っていた。

「判っているわ。あなたが彼を嫉妬していることを。でも、私はそうしていて欲しいの。あなたが自然の摂理と愛によって勝ち取ったすべてのものは、法律的には彼のものなのよ。そうよ、あなた。嫉妬してちょうだい。そして、なにか思い切った行動を取ってちょうだい」
(Yes, darlint, you are jealous of him. But I want you to be. He has the right by law to all that you have the right to by nature and love and yes, darlint, be jealous, so much so that you will do something desperate.)

「彼の食事に電球のかけらを混ぜたけど、3度目に見つかってしまったわ。だから諦めたの。あなたが帰って来るまでは」
(I used the light bulb three times, but the third time he found a piece, so I've given up until you come home.)

 手紙には国内で発生した様々な殺人事件の切り抜きが同封されていた。「参考にしてね」とでも云わんばかりに。パーシーの遺体からは如何なる毒物も電球のかけらも発見されなかったにもかかわらずイーディスが共犯者として起訴されたのは、こうした言動がゆえである。おそらくは恋人の心を繋ぎ止めておくための嘘八百が、まだ20歳のうぶな若者を凶行に走らせたと判断されたのだ。

「あの人、どうしてあんなことしたの?。頼んだわけでもないのに…」

 たしかに頼んだわけではない。しかし、仄めかしてはいた。そのことで断罪されたわけだが、死刑とはいくらなんでも重過ぎる。当時も今も、イーディスは殺人よりも姦通の罪で裁かれたと見る向きが多い。事実、担当のシアマン判事は陪審員にこのように説示している。
「被告は品性下劣な卑しむべき罪で裁かれていることを忘れないように」

 1923年1月9日午前9時、2人は別の場所で同時刻に処刑された。
 フレディは男らしく、最後の最後までイーディスは無関係であることを訴え続けた。
 かたや、イーディスは最後の最後まで自らの関与を否定し続けた。
「私はなんにもしていない!」
 ヒステリックに暴れる彼女を処刑場まで連れて行くためにはモルヒネやストリキニーネ等の薬物を投与しなければならなかった。
 落とし戸がガタンと開いて、ぶら下がった彼女の脚の間から大量の血が滴り落ちたと伝えられている。そのために「はらわたがこぼれ落ちた」との噂が流れたが、妊娠していたのではないかとの説もある。そうだとして、それはどちらの子だったのだろうか? パーシーか? それともフレディか? いずれにしても、死の三角関係はかくして最悪の結末を迎えたのだった。

(2007年5月21日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
週刊マーダー・ケースブック19(ディアゴスティーニ)
『恐怖の都・ロンドン』スティーブ・ジョーンズ著(筑摩書房)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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