ノーマン・ソーン
Norman Thorne (イギリス)



ノーマン・ソーン


ノーマン・ソーンとエルシー・キャメロン

 ノーマン・ソーンエルシー・キャメロンと出会ったのは事件の4年前、1920年のことである。ノーマンはまだ18歳。エルシーは22歳だった。
 文献の中にはエルシーを「不細工」と断言しているものもある。それは些か云い過ぎだが、たしかに地味ではある。普段は眼鏡をかけていた彼女は、ロンドンで働くタイピストだった。

 やがて2人は婚約した。ところが、電気技師見習いのノーマンには生活力がない。それでも婚約したのは、エルシーが結婚に焦っていたからだ。容姿があまりパッとしない彼女にはラストチャンスに思えたのだ。翌年にノーマンがクビになり、父親から金を借りてサセックス州クロウボローで養鶏場を始めてからも婚約関係は続いた。失いたくないのだ。ノーマンはもうあたしのものなんだってば。

 一方、ノーマンはというと、養鶏場がさっぱり儲からないので困り果てていた。このままではいつ結婚できるか判んないよお。そうこうするうち、地元の村祭りで陽気な娘と出会う。ベッシー・コールディコットである。
 おれ、やっぱりこっちのほうがいいや。
 うん、まだ若いから目移りするよね。ノーマンの心は地味なエルシーから陽気なベッシーへと移って行く。1924年6月頃のことである。

 さて、その頃のエルシーはというと、タイピストとしての職を失い、様々な職場を転々としていた。愛しいノーマンに会うこともできやしない。遠距離恋愛の悩みというのはいつの時代でもあるもんですなあ。ようやく会いに行くことが出来たのは10月になってからだ。その時に女の直感でビビッと感じたのだろうか。帰宅後しばらくしてからノーマンに書いた手紙でエルシーは妊娠を告げる(現実には妊娠していなかった)。そして12月5日に、結婚を迫るために養鶏場に押し掛けたのである。

 5日後、待てど暮らせど帰って来ないエルシーの安否を気遣った父親がノーマンに打電した。すると返事は「彼女はこちらには来ていません」。そんな馬鹿な。親に嘘をつくような娘じゃない。直ちに警察に通報し、調べてもらうと目撃者がいた。ノーマンの隣人だ。アニー・プライス夫人は12月5日午後5時頃にエルシーが養鶏場に訪れるのを目撃していたのだ。

 養鶏場を捜索した警察は、まずブリキ缶の中からエルシーの腕時計とブレスレット、宝石類を発見した。翌日には彼女の旅行鞄が掘り出された。
「さあ、これをどう説明するつもりだ?」
 観念したノーマンはこのように弁明した。
「たしかにエルシーは死んでいます。でも、私が殺したんじゃありません。自殺したんです。私が小用を終えて帰宅すると、天井の梁からぶら下がっていたんです。私は何が何やら判らなくなって、気がついたら彼女の死体をバラバラにして、養鶏場に埋めていました」

 法廷における争点は「本当に自殺だったか?」。バラバラになった彼女の首には紐の跡のようなものが残されていたからだ。しかし、それは単なる皮膚の皺にも見えた。結局、いずれであるかは特定できなかった。
 有罪を決定づけたのは遺体ではなく梁の方だった。エルシーがぶら下がっていたというその梁には、紐が擦れた痕跡が何一つ残されていなかったのだ。

 かくして哀れなノーマンは1925年4月22日に処刑された。その日は皮肉にも、エルシーの誕生日だった。

(2007年8月22日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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